
読谷村の中央、小高い丘にある約191ヘクタールの飛行場跡。元は日本軍が昭和18年(1943)夏から突貫工事で作り上げた航空部隊の補給基地「沖縄北飛行場」で、昭和20年(1945)4月1日米軍に占領されました。
戦後は、米軍海兵隊管理の下で海兵隊、陸軍特殊部隊、空軍によるパラシュート降下訓練等が行われていましたが、朝鮮戦争後、嘉手納飛行場にその機能が集約されため「読谷補助飛行場」となりました。
ここに読谷村役場が建てられた理由は、もともとこの土地は読谷村内でも大きな平野にあり、村の中心に位置していたため商業施設などを立てるのに適していました。しかし、戦時中は日本軍の臨戦飛行場として接収、使用され、「戦争が終われば土地は返す」という約束がありながらも戦後は米軍が長らく占領。平成7年(1995)に返還合意に持ち込み、伊江島へパラシュート降下訓練の移転後、平成18年(2006)12月にようやく全面返還されました。