1. 轟壕(とどろきごう)

轟壕(とどろきごう)

【投稿日】2016年05月06日(金)| 沖縄発

日本兵による横暴のなか600人もの住民・県庁職員が生き残った、別名「沖縄県庁最後の地」

内部に川が流れる「轟壕」は、東西におよそ約100メートル延びる巨大なガマ。沖縄戦が始まる前から、周辺住民の避難壕として整備、使用されていた。戦中は最大1000人以上の住民や日本兵が避難していたとされる。


昭和20年(1945)6月5日、当時の島田叡(しまだあきら)沖縄県知事以下、県庁職員幹部が避難。15日、島田知事は、部下に行動の自由を与えるため警察部を含む県庁解散を宣言。これにより「沖縄県庁最後の地」とも言われている。

その後、島田知事は摩文仁の軍司令部壕に向かうため壕を出立。その後、入って来た日本兵により、住民や県庁職員は壕内の湿地帯に追い立てられた。

18日米軍が壕を攻撃するも日本兵は住民の脱出を許可しなかった。しかし、24日すでに捕虜となっていた県民の説得により約600人の住民が投降。米軍に保護された。


注)各日付は糸満市の調査に基づく

【住所】
糸満市字伊敷
※国道331号線沿いの南部病院から南東に600メートルほどの場所

【利用料金】
無料

【駐車場】
なし

【備考】
・案内板・看板等一切無し
・トイレなし


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[たびらいセレクション]


【投稿日】2016年05月06日(金)【投稿者】たびらい編集部

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