知者による説得が奏功、約1000人もの命が救われた

読谷村字波平又川原(マタガーバル)に大きく口を開いた「シムクガマ」。
昭和20年(1945)4月1日の米軍による沖縄本島上陸時、総延長2570メートルの広大な洞窟内には、約1000人が避難していた。翌2日、米軍により発見され投降を呼びかけられ、壕内はパニックに。しかし、ハワイ移民の帰国者である二人の老人、比嘉平治氏と比嘉平三氏が「アメリカ人はむやみに人を殺さない」と人々を説得し、全員投降。結果、1キロメートルも離れていない「チビチリガマ」とは対照的に、集団自決が起こることはなかった。