避難した住民約140人中83人が「集団自決」で命を落とした悲劇の地

読谷村波平の集落からおよそ500メートル西、深さ10メートルほどのV字型をした谷の底にある「チビチリガマ」。集落内から流れ出た湧き水による小さな川が流れ込む場所で、“川が尻切れる”という意味から「チビ(=尻)チリ(=切れ)」の名称が付いたとされている。
昭和20年(1945)4月1日の米軍上陸の翌2日、米軍はチビチリガマを発見。鬼畜と教えられていたアメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて、避難民約140人中、83人(6割が18歳以下の子ども)の集団自決が起こり、尊い命が失われた。
その42年後、昭和62年(1987)4月2日に、地元住民らの集団製作により犠牲者に対する鎮魂碑「平和の像」が除幕されたが、同年11月8日右翼構成員(後に逮捕)により破壊された。しかし、現在は全国からの募金で再建されている。
なお、遺族会の意思により、洞窟内部に入ることは禁止されている。