若き「白梅学徒」の女子生徒たちが過酷な看護作業にあたった野戦病院

八重瀬岳中腹にあった野戦病院(第24師団第一野戦病院)の分院で、病院施設側であった西側が「ヌヌマチガマ」、東側は「ガラビガマ」と呼ばれている。
沖縄戦末期には、全長およそ500メートルの内部に、1000人以上の傷病兵が収容され、軍医、看護婦、地元の女子青年などが昼夜通して活動した。しかし、薬や麻酔剤の不足で充分な治療はできなかった。
昭和20年(1945)6月3日、米軍の首里司部の侵攻に伴い閉鎖。歩けない傷病兵およそ500人に青酸カリが投与されるか、注射や銃・剣でとどめをさされた。
看護に従事した「白梅学徒隊」は解散、あてもないまま戦場に投げ出された。最後まで勤務していた46人のうち、22人が命を落とした。