温暖な気候と豊かな水、広大な丘陵を有する熊本県には、約2万8000年前から人々が住んでいた。県内各地では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見され、金装飾の鏡や勾玉、金の耳飾りなど、多くの副葬品も出土している。古代、肥後国には、“火君(ひのきみ)”と呼ばれる有力な豪族がいたため、“火の国”や“肥の国”と呼ばれていた。戦国時代には、九州を平定した豊臣秀吉が佐々成政(さっさなりまさ)を国主に命じるが、肥後国衆一揆により成政は失脚。その後、加藤清正が北半分を、小西行長が南半分を、相良氏が球磨郡を支配した。だが、小西行長が関ヶ原の戦いで敗北したため、加藤清正が肥後一国を与えられ52万石の領主となり、熊本城を築城した。明治10年(1877)には西南戦争が開戦。明治20年(1887)には、夏目漱石や小泉八雲らが第五高等学校で教鞭をとり、多くの人材が巣立った。
平成23年(2011)に九州新幹線鹿児島ルートの開通された際には、県内に「新玉名」、「熊本」、「新八代」、「新水俣」の4駅が設置され、その翌年に熊本市は政令指定都市に移行した。