明治4年(1871)には、熊本医学校と熊本洋学校が設立された。こうして西洋文明による近代化が図られるとともに、廃藩置県で熊本藩は熊本県に、人吉藩は人吉県となった。明治9年(1876)には、長崎県に編入されていた天草県を含め、すべてが熊本県に合併される。また同年、熊本が主な戦場となる「神風連の乱」が起こり、翌年には「西南戦争」が勃発した。明治23年(1890)、鉄道や航路の発展により、八代の港周辺には多くの工場が建設され、九州で第1号のセメント工場が操業を開始。さらに明治の半ばを過ぎると「万田坑」が開かれ、大正から昭和にかけては、各施設の電化や機械化に伴い出炭量が増大し、さらなる近代化への後押しとなった。