小樽運河の見どころと楽しみ方を徹底ガイド
小樽運河は、ただ眺めて楽しむだけの観光スポットではない。小樽運河は「港町・小樽」の記憶を現在に伝える場所。周囲に点在する歴史的建造物を見学しながら、そのノスタルジックな雰囲気を味わうエリアなのだ。小樽運河の観光を楽しむために立ち寄るべき場所、そして小樽運河へ行く前に知っておいてほしい歴史を“小樽運河の達人”が紹介する。
![古い建物が日常に溶け込んでいるのが小樽らしさ。 古い建物が日常に溶け込んでいるのが小樽らしさ。]()
札幌駅から快速列車で30分あまりの港町・小樽市は人口およそ12万5000人(道内第7位)。早くから商業都市として発展し、明治から大正中期にかけては札幌を凌ぐ人口を抱えていた。その繁栄を支えたのが小樽港であり、運河だったのである。
北海道への上陸地のひとつとして、また物資の運搬や交易の拠点として機能していた小樽。当時は荷物を積んだたくさんの艀(はしけ※船幅が広く平底の小舟)が運河を出入りしていた。しかし、世界の港湾では、艀を使わずに大型船が直接接岸する“埠頭方式”が主流となっていく。昭和40年代には、小樽からも艀が完全に姿を消した。今でこそ全国区の知名度を誇る小樽運河だが、この当時は、地元住民以外にはほとんど知られていない“当たり前の街の景色”だった。
しかし、市が、港としての役割を終えた運河を埋め立て、道路にすることを決定したことで、様相は一変。工事が進み古い倉庫が壊され始めると、「埋めたてか」「存続か」の、市民を巻き込む大論争が勃発したのだ。これがマスコミに報じられたことで、皮肉にも「小樽運河」の名が全国に知れ渡ることになった。
ライター/札幌の出版社「あるた出版」編集部 和田 哲
投稿/平成27年(2015)9月
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小樽運河に見る、港町として栄えた時代の記憶
![この風景が小樽の象徴になったのは、意外にも近年のこと この風景が小樽の象徴になったのは、意外にも近年のこと]()
実は小樽運河は、陸地を切り込んで作られたものではなく、埋め立てで作られたことをご存じだろうか。小樽は海と山が非常に近く、平地が狭い地域。そのため、沖に向かって埋め立てて港を造る方法が採用されたのだった。貿易港として、築港計画の調査研究が始まったのは明治29年(1896)。最初は、(当時は)先進的な埠頭方式が計画されたが、欧米視察から帰った顧問技師が「埠頭方式は時期尚早」と講演したことで計画が変更。運河を造り、艀で荷物を陸揚げする方針に変わった。そうした議論に決着がついて着工したのが大正3年(1914)。
その後も設計変更や第一次世界大戦の影響などで工事が遅れ、ようやく完成したのは大正12年(1923)のこと。調査研究から完成まで、実に27年もの歳月を費やしたことになる。完成の翌年には、小樽港に入港した船が6,284隻を記録。第一次世界大戦で被害を受けたヨーロッパ諸国への物資輸送などで早くも全盛期を迎え、沖には入港待ちの船が並ぶほどだった。定期航路でつながった樺太との交易は特に隆盛を極めた。しかし第二次大戦終了後は、樺太を含めた諸外国との貿易が激減。その役目を終ることになった。
それから年月がたち、市は昭和61年(1986)、小樽運河の南側部分の幅を半分の20メートルに削って大きな道路を開通させることに。これが、現在は6車線も走る小樽臨港線である。小樽運河に訪れた際には、現在も姿が残る運河だけを見るのではなく、並列して走る小樽臨港線の下にも運河あったことをイメージしてみるべき。交易の拠点として栄えた、港町・小樽のスケールが感じられる。
港町らしい本来の風情を残す「北運河」
![運河の北端。ここから運河全体の湾曲を眺めることができる 運河の北端。ここから運河全体の湾曲を眺めることができる]()
「観光で訪れた方にはぜひ、埋め立てられていない北側部分(通称『北運河』)まで足を延ばしていただきたいですね」と達人。本来の40メートル幅の運河の姿を残す北運河には、今も現役の倉庫があり、小型船も通行している。「南側に比べると地味な風景ですが、それがかえって港町らしい空気感を醸し出しているのです。雰囲気の良い小さなカフェが点在し、人混みを離れてのんびり散歩できるのも魅力。当たり前の風景だったかつての運河の雰囲気を感じることができます」と達人は続ける。
そして、達人がすすめるのがもうひとつ。「小樽には昭和に入ってから完成したもう一つの運河があるのです。JR南小樽駅の付近、勝納川(かつないがわ)の河口にある60メートル幅の第二期運河です。こちらは、自然の川の河口も兼ねていたことから埋め立てられることなく、現役のまま現在に至っています」。達人いわく、ここに観光で訪れる人は少ないそう。しかし、昭和40年代までの小樽運河は、市民にとって、まさに現在の第二期運河のような存在だったのだ。第二期運河にも足を運んで、原風景に近い景色も眺めてほしい。
北海道開拓を支えた鉄路の跡 「旧国鉄手宮線」
![線路上で作品展が行われることも。(川嶋王志さん撮影) 線路上で作品展が行われることも。(川嶋王志さん撮影)]()
運河と平行するように、列車の来ない線路がある。これは、今は廃線となった旧国鉄手宮線。南小樽駅から手宮の小樽市博物館の位置までの2.8キロメートルを結んでいたこの線路、実は明治13年(1880)に北海道で初めて、日本で3番目に開通した鉄道の一部なのだ。幌内炭鉱(三笠市)で産出した石炭はこの鉄道で小樽の港まで運び、全国に輸送されていた。旧国鉄手宮線は、北海道開拓を支える重要な鉄道だったと言えるだろう。
しかし、函館方面への線路が南小樽から分岐されたことや、室蘭・苫小牧の両港が発展したことなどから輸送量が減り、手宮線の旅客輸送は昭和37年(1962)に、貨物輸送は昭和60年(1985)に廃止、105年の歴史に幕を下ろす。その直後から、市民が中心となり跡地利用について話し合われ、その結果、ほとんどの区間のレールを残して散策路として活用することになったのだ。
ここに訪れたなら、ぜひ線路跡の上を歩いてみよう。北海道開拓のために汽車が走り抜けた時代に、想いを馳せることができる。また、手宮線の敷地を使って、観光イベントが行われている場合もある。
運河周辺の建物に注目することで、散策がもっと楽しく
![いたるところにレトロな建物が並ぶ いたるところにレトロな建物が並ぶ]()
オリンピックや急激な人口増加で変貌した札幌の街並みとは異なり、小樽には今も多くの古い建物が残っている。それを探しながら散策すると小樽運河観光をもっと楽しめる、と達人は語る。「明治32年(1899)に創業した『田中酒造本店』。店舗は昭和2年(1927)建築の木造2階建て。店内には古い看板や帳簿が 展示されています。『ホテルビブラントオタル』は旧拓銀。旧日本銀行小樽支店と並び「北のウォール街」と呼ばれた商都小樽の金融街を象徴する建物です。その他にも、古い倉庫を改造したカフェや商店が、運河周辺にはたくさんあるのです」。
しかし、古い建物は20年前と比べても半分以下に減ってしまっているそう。そんな中、手放したいという人と、古い建物を手に入れたいという人とがうまく出会い、建物が幸福な「第二の人生」を歩むケースも増えつつあるのだとか。今も現役で街並みをつくる、クラシックな姿の建造物にも注目しながら散策を楽しもう。