鉄砲伝来から6年後の天文18年(1549)、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教のため、薩摩のヤジローの案内で鹿児島に上陸した。ザビエルは領主の島津貴久と会見し、布教の許可を得た。これが日本でキリスト教が広まる第一歩となる。しかし、ポルトガル船が平戸(長崎県)などの港に来航するようになると、貴久は領内の布教を禁止し、ザビエルは1年足らずで鹿児島を去った。その後は平戸や島原、山口などを訪れて伝道を続け、天文21年(1552)に中国へと渡るが、病気になり他界(享年46)。鹿児島市内にはザビエル上陸400年を記念して造られた「ザビエル公園」があり、キリスト教伝来の地碑やザビエル滞鹿記念碑などがある。