嬉野温泉は、佐賀県の南西部、長崎県との県境に位置している嬉野市を代表する温泉街として知られます。2006年に旧嬉野町と塩田町の合併によって誕生した嬉野市は、温泉のほかにもお茶(うれしの茶)、焼き物(備前吉田焼)が有名で、西九州の主要観光拠点です。嬉野市街地を流れる嬉野川(塩田川)の両岸には、歴史ある老舗旅館や公衆浴場、スタイリッシュな温泉宿などが軒を連ね、全国から数多くの温泉ファンが訪れています。
嬉野温泉の歴史は古く、最古の記録は、日本書紀に登場する伝説上の人物、神功皇后(200年ごろ)にまでさかのぼります。その昔、戦の帰りにこの地に立ち寄った神功皇后が、川の中に温泉を発見しました。戦で怪我をした兵士を湯に浸からせたところ傷がたちまち治り、それを見た皇后が「あな、うれしや」(もしくは「うれしいの」)と喜んだことが、地名の由来とも言われています。
さらに奈良時代初期の「肥前国風土記」(730年ごろ)には嬉野温泉について「東の辺に湯の泉ありて能く人の病を癒す」と書かれ、長崎街道の宿場町のひとつ「嬉野宿(嬉野湯宿)」として栄えた江戸時代になると、「和漢三才図会」(1712年)や「西遊雑記」(1783年)、「東西遊記」(1795~1798年)といった書物の中にも嬉野温泉についての記述が登場するようになります。1826年には藩営公衆温泉にドイツ人医師・シーボルトが訪れたという記録もあり、当時から知名度の高い温泉街だったといえるでしょう。
近代以降、特に戦後になると嬉野温泉は「西の別府」とも呼ばれる温泉歓楽街として繁栄し、嬉野川を挟んで多くの温泉旅館が立ち並びました。こうした温泉旅館の中には、1830年(天保元年)創業とされる「旅館大村屋」や、江戸時代に薩摩藩の上使屋(大名や武士が休憩する宿)が発祥との「和多屋別荘」、大正14年創業の「大正屋」、創業90余年の「旅館吉田屋」など、それぞれの歴史や特色を生かしつつ、今も営業を続けているところが少なくありません。
現在、嬉野温泉は「日本三大美肌の湯」のひとつとして知られており、宿泊や日帰り入浴はもちろん、うれしの温泉商店街の中心近くにある足湯広場の「シーボルトの足湯」、温泉を使って炊いた「嬉野温泉湯豆腐」、さらに嬉野の特産品「うれしの茶」とタイアップしたイベントや各種まつりなど、さまざまな形で地元の人や観光客から愛されています。