【保存版】唐津観光15選 現地編集部が厳選
江戸初期の町割りがそのまま残る城下町、「唐津(からつ)」。明治時代以降、石炭の積出港として栄えた町には、当時の隆盛をしのばせる建物の姿が。城下町散策で歴史を感じた後には、玄界灘の地魚など“城下町グルメ”を楽しもう。
![唐津の街のシンボルでもある「唐津城」から城下町を巡っていこう 唐津の街のシンボルでもある「唐津城」から城下町を巡っていこう]()
唐津湾に突き出した丘陵にそびえるしっくいの天守閣。その眼下に広がる唐津は、江戸時代初期の町割りがそのまま残り、随所に歴史の足跡をとどめる城下町だ。
唐津散策は、城下町の成り立ち抜きには語れない。ひとたびその歴史をひもとけば、街歩きからグルメに至るまで、旅の楽しみは何倍にも膨らむ。
城下町の唐津くんち・鯛山の曳手歴40余年の“唐津っ子”であり、普段は唐津観光タクシーに勤める多久島修さんを達人に迎え、唐津城下の歩き方を教えてもらった。
取材/河三平、平成28年(2016)8月
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まずは城内橋から、唐津城を見上げる
![城内橋は唐津城の全景を望めるスポット 城内橋は唐津城の全景を望めるスポット]()
唐津の歴史は遠く古代にさかのぼり、その名の示す通り、唐(中国大陸・朝鮮半島)へ渡る港(津)として栄えた町だ。唐津を散策する際のキーワードは、“唐津城”と“石炭”。「この二つに注目すると、城下町が立体感をもって楽しめます。歴史の名残りを体感しながら歩く。 ―― これこそが、唐津散歩の醍醐味です」と達人・多久島さんは言う。
特にエポックメイキングな出来事の一つが、唐津城の築城だ。初代唐津藩主・寺沢志摩守広高(てらざわしまのかみひろたか)は、城郭と同時に城下町の町割りにも着手。戦火を免れた唐津には、江戸初期の町名もそのまま残っている。まずは城下町のシンボルである唐津城から、半日の街歩きで楽しめる城下町の見どころをぐるりと巡ってみよう。
唐津湾へ突き出した唐津城を中心に、砂浜と松原が東西に弧を描く――。その形状は、鶴が両翼を広げて天に飛び立つさまに見立てられることから、唐津城は“舞鶴城”との別名を持つ。
「全景を収めるなら、まずは城内橋の上に立って、その全景を眺めるといいですよ」と達人・多久島さんは言う。
城内橋までは、唐津駅から歩いて15分ほど。趣のある木造仕立ての歩道橋の上から、唐津城本丸が建つ満島山(まんとうざん)に向かって、城の全貌を視界に収めることができる。撮影スポットとしてもおすすめだ。
橋を渡り、石段を登れば唐津城天守閣にたどり着く。最上階にある展望室からは、唐津の城下町や虹の松原を一望できる。古地図を片手に、二の丸と三の丸を囲んだ石垣や堀、城下町の町割りを重ね合わせて眺めると面白い。
“石垣の散歩道”を歩いて、気分は“歴史探偵”に
![静かな城下町散策を味わえる“石垣の散歩道” 静かな城下町散策を味わえる“石垣の散歩道”]()
城内を見た後は、唐津城本丸から西の浜に沿って続く“石垣の散歩道”へ。
太閤・豊臣秀吉が名護屋城(唐津北西に位置する東松浦半島の突端)を拠点にして朝鮮出兵した際、この地を長年治めた松浦党波多氏が改易される。代わって唐津の領主となったのが、秀吉の家臣として仕えた寺沢広高だ。
関ケ原の戦いでは東軍について唐津藩の初代藩主となった寺沢広高が、この城を築いたのが慶長13年(1608)。土木工事の天才だった広高は、玄界灘に向かって突き出した小高い丘に着目。そこを本丸とし、秀吉朝鮮出兵の国内拠点とした名護屋城の解体資材を利用して堅固な海城を造った。“築城の天才”とうたわれた加藤清正をはじめ、九州の諸大名の助力を得て、7年の歳月をかけたという。
「城郭だけでなく、武家屋敷にもまた名護屋城内の遺産が随所に散りばめられています。その名残りをとどめる武家屋敷門が、“石垣の散歩道”の道筋にあります」と多久島さんは説明する。「現在は水野旅館の正面玄関ですが、名護屋城から移築したこの門の屋根瓦には廃材活用の結果、さまざまな家紋が混在しているのが分かります」
そこから水野旅館を南へ下ると、バスセンターの脇に見えてくるのが、三の丸の南端にあたる「肥後堀」である。
「この名称は、築城に協力した肥後藩主・加藤清正へのリスペクトの証しです。現存する肥後堀のほか、薩摩堀、長州堀、佐賀堀、柳堀など、城郭周囲の堀には、敬意を表して協力大名の各領地名が冠されているんです」(多久島さん)
唐津くんち誕生の陰に、初代藩主のアイデアが
![祭りの期間でなくても唐津くんちの雰囲気が味わえる曳山展示場 祭りの期間でなくても唐津くんちの雰囲気が味わえる曳山展示場]()
城下町の土台づくりに際して、寺沢広高はさまざまなアイデアを発揮した。その中でも多久島さんが注目するのは、唐津神社を城内へと引っ越しさせたことだという。
唐津神社は、おくんち(唐津くんち)の曳山(ヤマ)が奉納される唐津の総鎮守。もともとは城外にあったこの唐津神社を、寺沢広高はわざわざ城内に移して再建した。これが唐津っ子の結束力を高めることにつながる発明だった。
「はるか以前から人々に崇められてきた神社が城内に建立された後に、城下の町民たちは各町ごとに(後に現在の曳山に形を変える)山車を作り、年に一度、唐津神社に奉納した。これが唐津くんちの始まりです。この日ばかりは、町人も大手を振って城内に入れる、いわば“無礼講”の日でもあったわけです」(多久島さん)
唐津くんちは唐津神社の秋季例大祭として、毎年11月2日~11月4日の3日間で行われ、豪華絢爛な14台の曳山が街を彩る一大イベントである。祭りの期間中は、唐津の町がおくんち一色に染まり、全国から多くの観光客が訪れる。
「唐津神社の向かいにある曳山展示場に立ち寄れば、祭りの期間でなくても、唐津くんちの雰囲気を味わうことができます」と語る多久島さんが40余年にわたって曳手をつとめた鯛山をはじめ、ここには全14台の曳山が一堂にそろい、年に一度の出番を待って格納展示されるさまを目の当たりにできる。
“石炭の町”の立役者たちが残したもの
![当時の隆盛を感じられる「旧高取邸」のぜいたくな大広間 当時の隆盛を感じられる「旧高取邸」のぜいたくな大広間]()
唐津城下町の歴史の節目となったもう一つの出来事は、明治時代に入ってからの石炭積出港としての発展だ。唐津の近代化を支えた炭鉱王・高取伊好(たかとりこれよし)と金融王・大島小太郎(おおしまこたろう)。街歩きの締めくくりに、二人の立役者が残した建築遺産を巡ろう。
水野旅館を過ぎて石垣の散歩道をさらに西へ進んだところに、高取伊好が残した旧高取邸が門を構える。唐破風(からはふ)の屋根瓦に施された模様は、一般的な屋根瓦には御法度であった炎をモチーフにしたもの。ここには、“炭鉱の火を絶やすな”という炭鉱王の矜持が伺える。
旧高取邸の大広間棟は明治38年(1905)に建てられ、その後、大正時代と昭和初期に二度の造築を重ねた。その時々の流行様式を取り込みながら贅を極めたしつらえは、当時の隆盛をしのばせる。邸宅内の欄間や杉戸絵のほか、窓の手拭きガラスに至るまで、細部まで手の込んだ意匠も見どころだ。
また、高取伊好は能を好み、自ら謡い、舞った人だったという。そのため邸内には能舞台まである。
「特に能舞台は高取伊好のこだわりの一つで、じっくりと見てほしいところ。朝ドラで脚光を浴びた筑豊の炭鉱王が遺した旧伊藤伝右衛門邸にも、さすがに能舞台はなかったものです」(多久島さん)
石炭の町としての発展のもう一人の立役者は、大島小太郎という人物だ。多久島さんは説明する。
「近代化を支えた日本の炭鉱に共通することですが、石炭を掘り出した炭鉱王のそばには、必ずその石炭をお金に換え、経済に循環させていく、いわば金融王の存在があります。近代化推進の両輪なんですね。その片棒を担い、唐津近代化の先頭に立った人物こそが大島小太郎です。旧唐津銀行初代頭取として経済、産業だけではなく、鉄道、港湾など様々な事業の中心になりました」
その唐津銀行本店の建物は、かつて城内と城外を分けた堀のちょうど真上に立っている。監修を務めたのは、唐津の藩校で大島小太郎と同窓だった建築家・辰野金吾(たつのきんご)だ。辰野金吾は東京駅や日本銀行本店などの設計で知られる日本近代建築の雄である。
赤煉瓦と白石のコントラスト、正面の三連アーチ、そして両角の塔屋など、唐津銀行本店の建物は辰野様式のデザインに貫かれている。近年改めて忠実に復元再建され、一般公開された。2階は資料室となっており、当時の唐津近代化を牽引した若き群雄の足跡を、展示資料とともに知ることができる。
唐津の台所・中町エリアで、早朝の市場散策とグルメを堪能
![鮮魚店や精肉店、青果店が軒を連ねる「産栄市場」 鮮魚店や精肉店、青果店が軒を連ねる「産栄市場」]()
旧唐津銀行本店がある本町の一筋先が、唐津城下町の“目抜き通り”にあたる中町だ。南北に走る通り沿いには、かつてリヤカー行商が並んだという。これをルーツに持つ産栄市場を中心に、鮮魚店や精肉店、青果店が軒を連ねる。唐津っ子の胃袋を支える台所である。唐津観光の最終日に、朝一番に行くことをおすすめしたい。
「産栄市場の楽しみ方は、晩の献立に合わせて探すのではなくて、まずは“今朝は何があがってますか”と聞くところからです。獲れたての旬の魚と、一番おいしい食べ方を教えてくれますから」と語る多久島さん自身も、産栄市場での買い出しでは、いつもノープランだという。
地元の食通はもとより、唐津を訪れる食いしん坊たちを唸らせる飲食店も、この中町に集中している。
「『鮨のつく田』、佐賀牛ステーキの『キャラバン』、うなぎの『竹屋』 ―― 唐津のグルメ御三家が中町ですね」と、ミシュランにも載るハイクオリティな店が、見事に三拍子そろっている。「ここ最近では“新御三家”とも呼べる実力派の3店、『笑咲喜』(すし)、『点』(肉)、『渡辺鮮魚店』(うなぎ)も評判です」
中町の店の主人たちは、みな唐津愛に溢れている。彼らは腕の立つ職人であると同時に、実は一流の唐津散策コンシェルジュでもある。カウンター越しの会話を楽しみながら、さらなる散策コースを組み立ててみるといい。