五家荘 八代の秘境で出合う渓谷美
“九州の秘境”とも呼ばれる「五家荘(ごかのしょう)」は、九州中央山地の険峻な山々に囲まれた場所にある。壇ノ浦の戦いに敗れた平家が逃げ延びて里を作ったという“平家落人伝説”が残るこの地は、今では紅葉や新緑の絶景スポットとして知られている。
![梅の木轟公園吊橋の橋上には、紅葉の渓谷美が広がる 梅の木轟公園吊橋の橋上には、紅葉の渓谷美が広がる]()
標高1300~1700メートル級の山々に囲まれた八代(やつしろ)の秘境、「五家荘(ごかのしょう)」。新緑の時期には、むせ返るような青葉の香りと色に山々が染まり、また秋には鮮やかな紅葉に染まる渓谷美が広がる。五家荘の手つかずの自然の魅力を“達人”に聞いた。
取材/熊本の編集プロダクション「ポルト」、2016年 3月
秘境ならではの自然の絶景スポット
![静寂に包まれた秘境の地、五家荘 静寂に包まれた秘境の地、五家荘]()
五家荘には、スリル満点の吊橋や轟音を響かせる滝など、ぜひ立ち寄ってほしい観光スポットが点在している。険しい渓谷を行き来するため、住民の生活にも欠かせない吊橋だが、ここには滝を鑑賞するために設置された観光用の吊橋がある。五家荘には名称の最後に“轟(とどろ)”と付く滝が多いが、これは五家荘の言葉でそのまま“滝”を意味する。いずれの轟も紅葉の名所として名高く、吊橋の上から望む山々の紅葉と滝が織りなす風景は、まるで絵画のようだ。
注意点としては、五家荘はとにかく面積が広い。路線バスや宿泊施設の送迎バスなどはあるものの、観光する場合はとにかく車がおすすめ。整備された国道や県道は通っているが、道幅は狭く曲がりくねっており、車同士の離合が難しい場所も多い。運転する際は十分注意が必要だ。
また、山道が多いため、観光スポット間の移動は地図で想像するよりも時間がかかることが多い。短時間で何カ所も回るような強行スケジュールは避けて、ゆとりのある旅行計画を立てるようにしよう。日帰りよりも、旅館や民宿に泊まって大自然にどっぷりと浸る楽しみ方をおすすめする。
秋の壮大な紅葉は、五家荘の代名詞
![五家荘で最も有名な大瀑布「せんだん轟の滝」 五家荘で最も有名な大瀑布「せんだん轟の滝」]()
五家荘が最も観光客でにぎわう季節は秋。熊本県を代表する紅葉の名所として知られるこの地では、10月下旬から11月にかけて、山全体が鮮やかな赤や黄色に彩られる。
落差約70メートルの「せんだん轟(とどろ)の滝」は、五家荘で最も有名な大瀑布。遊歩道で滝つぼまで近づくことができるので、その迫力を間近で体感してみてほしい。「樅木の吊橋」は“揺れる吊橋”として有名だったが、20年ほど前に観光用に掛け替えられ、頑丈になった今でも十分なスリルが味わえる。全長116メートル・高さ55メートルの「梅の木轟(とどろ)公園吊橋」の橋上から見る渓谷美も圧巻で、吊橋の先には「梅の木轟」という美しい滝が待ち受けている。
五家荘では登山もできるが、峻険な山が多いので、事前に入念な登山計画を立てて、服装や装備などにも細心の注意が必要となる。特に九州中央山地最高峰の「国見岳」は、初心者が軽い気持ちで登ると遭難する恐れも。もし装備などに自信がない場合は、車で行くことができる「二本杉峠展望所」から雄大な景色を楽しもう。また、五家荘周辺にはコンビニどころか個人商店もほとんどないが、宿泊すれば予約制で弁当を作ってくれる民宿もある。
春・夏・冬にも自然美が楽しめる五家荘
![清流・川辺川にはヤマメなどの川魚が生息し、食材にもなっている 清流・川辺川にはヤマメなどの川魚が生息し、食材にもなっている]()
とにかく紅葉の美しさで知られる五家荘だが、見どころは秋だけではない。2月中旬~3月中旬にはフクジュソウが、4月中旬~5月中旬にはカタクリやシャクナゲが、4月下旬~6月上旬にはヤマシャクヤクが見ごろを迎える。また、初夏の夜にはホタルが乱舞し、冬には樹氷が輝く。四季折々に違った自然の楽しみがあるのだ。
ちなみに達人・橋崎さんが最も好きな季節は春だという。
「春のある日、五家荘の曲がりくねった山道を車で走っていたとき、ふと緑という色はこんなに種類が豊富なのかと気付かされたんです。何種類もの木々の葉が折り重なって、その生命力あふれる美しさにすっかり魅せられました」と橋崎さんは語る。「新緑のパワーがみなぎる空気を吸うと、生きている実感が込み上げてきますよ」
平家落人たちの“隠れ里”へ
![菅原一族の子孫が暮らした「左座家」 菅原一族の子孫が暮らした「左座家」]()
九州の中央部を南北に縦断する九州中央山地。その深く険しい山あいに、五家荘はある。しかし、地図上に五家荘という地名はなく、実際には八代市泉町(旧泉村)にある久連子・椎原・仁田尾・葉木・樅木の5地域の総称となっている。
五家荘には平家落人の伝説が残っており、伝承によると壇ノ浦の戦いに敗れて源氏の追討を逃れた平清経(平清盛の孫)が、白鳥山の麓にある御池(みいけ)という場所にたどり着いて緒方姓を名乗り、清経のひ孫の代に里を作ったという。現在は舗装されて国道や県道が通っているこの地域だが、今からわずか60年ほど前までは道らしい道さえなかった。
年々、五家荘の道路事情は良くなってきているものの、ほとんどは道幅の狭い山道。車で走っていると、鹿や猪などの野生動物に出合うこともある。まるで外部からの侵入を拒むかのように険しい山々が重なり合う地形を見ると、平家の落人たちがこの地に隠れ住もうと考えたこともうなずける。
さらにさかのぼって923年には、京の都から政敵・藤原一族に追われた菅原道真の子・菅宰相が、左座太郎(ぞうざたろう)と改名して仁田尾に逃げ延びたといわれている。その後は左座氏が代々、仁田尾地域を治めていたといわれ、現在も五家荘には緒方氏や左座氏ゆかりの屋敷が残る。
平清経の子孫が代々暮らしたという屋敷は「緒方家」として、また菅原道真の子孫の住居跡は「左座家」として公開されている。どちらも茅葺き屋根を持つ重厚な造りの建物で、緒方家の2階には隠し部屋があり、左座家には客人の身分によって使い分ける三つの玄関が見られる。
秘境ならではの山の幸グルメを味わおう
![「天領庵」の猪の塩焼き 「天領庵」の猪の塩焼き]()
五家荘での楽しみとして、大自然が育む山の幸を忘れてはいけない。地元の猟師が銃で仕留める猪(いのしし)や鹿の肉は、古くから五家荘の食卓に欠かせない大切なタンパク源だったという。
「ジビエは臭みがあるから苦手と思っている人も多いのですが、地元ならではの知恵で新鮮なうちに入念に下処理を施して保存・調理された猪肉は、臭みもなく、イメージを覆すおいしさなんです。特に脂がのった猪肉の味は格別ですよ」と橋崎さんは言う。
“ブナの実がなれば猟師が喜ぶ” ―― これは昔から五家荘で語られている言葉で、秋までに木の実をたくさん食べて脂肪をしっかり蓄えた冬場の猪が最もうまいという意味。一方で鹿の肉は、豊沃な木の葉を食べてまるまると肥える夏ごろが一番味が良いとされる。
猪や鹿の肉は五家荘のほとんどの宿で提供されており、猪肉はぼたん鍋(猪鍋)が中心で、鹿肉は陶板焼きなどで味わえる。食事休憩のみでも受け入れてくれる宿もあるので、事前に確認してみよう。また、自家養殖のヤマメを味わえる宿もあり、塩焼きで食べるのが定番。「平家の里」の食事処では、趣あるかやぶき屋根の建物で手打ちの田舎そばや山菜料理が味わえ、また「天領庵」では川辺川の上流で育ったヤマメや手作りコンニャクなどが気軽に味わえる。