明治4年(1871)の廃藩置県で、筑前国には「福岡県」と「秋月県」が、豊前国には「小倉県」と「千束(ちづか)県」、「中津県」が、筑後国には「久留米県」と「柳川県」、「三池県」が置かれ、合計8県となった。その後、明治9年(1876)に8県が統合されて現在の福岡県が誕生。福岡の名は、もともとは筑前国の藩主・黒田長政の先祖の出身地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来する。明治から昭和にかけては、筑豊などで石炭の産出が盛んになり、これを活用して北部に鉄鋼や機械、電気、化学などを中心とする「北九州工業地帯」が、南部の大牟田地区には「重化学コンビナート」が形成され、日本の近代化と経済の発展に寄与した。
筑豊炭田
筑豊炭田は、北九州市や直方(のおがた)市、飯塚市など6市4郡にまたがる日本有数の石炭の産地として知られていた。全長は北北西から南南東にわたり約47キロにも及び、東西の幅は12~28キロ、面積は787平方キロ余り。明治初期から昭和51年(1976)までの約100年間で8億トンもの石炭が産出され、日本の産業発展や近代化に貢献。しかし、1960年代からの産業合理化に伴い衰退した。
かつて筑豊炭田で採掘された石炭を北九州の港へ運ぶ役割を担っていたのが、JR筑豊線や後藤寺線だ。車窓からは現在、あちこちに小高い山が見えるが、これは炭鉱で選炭した後に残る岩石や粗悪な石炭を積み上げてできたボタ山(捨石の集積場)。この山が、いわば筑豊炭田の栄華の足跡だ。