福岡県は中国大陸や朝鮮半島に近いことから、古代より交易や侵略の歴史を持ち、弥生時代には日本で初めて稲作が伝えられといわれる。現在の福岡市西区と糸島市の周辺に「伊都国(いとこく)」が、博多区あたりに「奴国(なこく)」が存在し、江戸時代に志賀島で発見された金印から奴国が実在したと考えられている。中世には2回にわたって元(モンゴル)の軍隊の襲来を受け、天正年間[天正1年~天正20年(1573~1592)]には豊臣秀吉によって博多の町割が行われた。
邪馬台国
邪馬台国(やまたいこく)とは、『三国志』の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された2世紀後半から3世紀頃、日本に存在したとされる最も強大な国。この国は女王・卑弥呼(ひみこ)により支配されていたといわれ、約30カ国が統治下にあったという。邪馬台国の所在地については、近畿と九州の2説がある。近畿説は、畿内から卑弥呼が魏(中国)からもらった銅鏡の多くが出土したことを論拠とし、九州説は天明4年(1784)に志賀島で「漢委奴国王」と刻まれた黄金製の印が発見されたことを論拠としている。いまだ結論は出ておらず、議論は現在も続いている。