指宿観光 自然の景観と温泉、歴史を巡る
鹿児島県薩摩半島の南東部に位置する指宿市(いぶすきし)。この地の最大の魅力は、“砂むし温泉”に代表される独特な温泉文化と、開聞岳や知林ヶ島、魚見岳などの自然景観だ。また、テレビドラマで有名になった篤姫のゆかりの地などのスポットもあり、歴史を巡れる魅力もある。
![“薩摩富士”の異名を持つ開聞岳を望める砂むし風呂「砂湯里」 “薩摩富士”の異名を持つ開聞岳を望める砂むし風呂「砂湯里」]()
指宿観光といえば、世界的にも珍しい無人島「知林ヶ島」や東洋のダイヤモンドヘッド「魚見岳」、砂むし温泉、指宿グルメ……と楽しみ方が尽きない。さらに指宿の南東に位置する山川地区では、竹山と開聞岳の優美な姿を楽しみながら「たまて箱温泉」の湯に漬かるのが定番。
また、歴史的には篤姫ゆかりの地である今和泉のまち歩きもできるほか、江戸末期に薩摩藩の近代化を支えた豪商・濵﨑太平次の足跡もたどることができる。そんな指宿のおすすめの楽しみ方を、名物観光ガイドである達人・吉留さんに聞いた。
取材/野田 卓也、平成28年(2016)9月
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まずは魚見岳へ 指宿市内と知林ケ島の“砂の道”を眺望
![魚見岳の展望所から、指宿の市街地を望む 魚見岳の展望所から、指宿の市街地を望む]()
「指宿に到着したら、まずはここを目指していただきたい」と、指宿観光の達人・吉留さんから最初に教えられたのが、この「魚見岳(うおみだけ)」だ。JR指宿駅からは車で15分ほど、指宿市北東部の海沿いにあるこの山は、標高215メートル。ハワイのダイヤモンドヘッドをほうふつとさせる姿から、指宿が“東洋のハワイ”と呼ばれるきっかけとなった山だ。
この魚見岳の頂上からは、指宿市街地はもちろん、晴天時には開聞岳と桜島を同時に見ることができる。また、夕日や夜景も素晴らしく、海側にある無人島「知林ヶ島(ちりんがしま)」や干潮時に現れる砂州(砂の道)が美しく見える場所でもある。この砂の道は、3月から10月にかけての大潮や中潮の干潮時に現れる。
この周辺は「魚見岳自然公園」として整備されており、鹿児島県の「森林浴の森70選」にも選定されている。野鳥や植物に恵まれ、特に春先の花見の時期には、桜やツツジが見ごろを迎える。指宿の自然と眺望を体感できる場所として、まずはこの魚見岳を訪ねてみてほしい。
砂の道「ちりりんロード」を歩こう
![島へ繋がる砂洲の道「ちりりんロード」 島へ繋がる砂洲の道「ちりりんロード」]()
魚見岳のすぐ近くにある知林ヶ島では、年間で約170日間、干潮時に砂州(砂の道)が出現し、島まで歩いて渡ることができる。島と陸を繋ぐこの砂の道は「ちりりんロード」と呼ばれており、片道20分ほどで島を目指すことができるのだ。
「この道は人工的に作られた道ではなく、潮の満ち干により限られた時間にだけ出現する道。道の形状や幅、位置、道の起伏などは日々変化するんです。同じ道は二度と現れず、その日、その時に訪れた人にしか渡れない特別な道」と吉留さんは胸を張る。
また、島に渡る途中には白い貝殻が落ちている。この貝殻の形がうまく合うとハート型になることもあり、いい手土産になる。「まさに指宿ならではの体験だよ」と言ってほほ笑む吉留さん。なお、11月から2月の間は潮の関係で渡ることができないため、訪れるときには注意しよう。
山川地区で、温泉の噴き出す海岸や本渡最南端の駅などを巡る
![“薩摩富士”の異名を持つ開聞岳を、西大山駅から見上げる “薩摩富士”の異名を持つ開聞岳を、西大山駅から見上げる]()
伏目海岸は約6400年前、池田湖付近が噴火した際に噴出した池田火砕流が層をなして厚く堆積した岸壁を持つ。この伏目海岸の地下1000~1800メートル一帯には、地下のマグマによって熱せられた230度を越す熱水があり、海岸の波打ち際からは温泉が噴き出している。
また、海岸の岸壁の上には温泉を利用した塩田工場の跡があるが、ここでも激しい蒸気と温泉が噴き出しており、その様子を間近に見ることができる。これだけの地熱に恵まれた場所のため、海岸そばには地熱を利用した砂蒸し温泉があるのもうなずける。まさしく、大地の息吹を直に“体感”できる場所だ。
伏目海岸がある山川地区は、JR指宿駅より車で30分ほどとやや市内中心部より距離がある。しかし、開聞岳を望む絶好のスポットで本土最南端の駅である「西大山駅」や、旅行口コミサイトなどでランキング上位になることも多い日帰り温泉「たまて箱温泉」など、見どころが多く点在している。
指宿旅行の際には、まずは指宿市内で1泊した後に、ゆったりと1日もしくは数日かけて山川地区を訪れるコースがおすすめだ。
篤姫ゆかりの地 ―― 今和泉を歩く
![今和泉島津家別邸跡の松林。達人・吉留さんおすすめの風景だ 今和泉島津家別邸跡の松林。達人・吉留さんおすすめの風景だ]()
ドラマの反響により一躍全国区になった天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)。指宿市にある今和泉地区は、篤姫の生家である今和泉島津家の領地であり、屋敷があった場所だ。旅のプランとしては、鹿児島市から指宿市への入り口にあたるため、指宿観光の最後(もしくは最初)に訪れるのがいいだろう。
JR薩摩今和泉駅から半径1.5キロの圏内には、今和泉島津家別邸跡の石垣や町割、隼人松原と呼ばれる整備された松林、今和泉島津家歴代当主の墓などがあり、1時間弱でこれら全てを回るまち歩きが可能だ。今和泉島津家の別邸跡には、現在は今和泉小学校があるが、校内で台帳に記名して中を見学することもできる(要相談)。また、海岸沿いの松林からでも、当時の雰囲気を感じることが可能だ。特に海岸側は「必ず訪ねてほしいスポット」だと吉留さんは強調する。
さらに松林を眺めながら道を進むと、その先には篤姫幼少期の像「於一像」が、錦江湾と桜島を背景に立っている。篤姫は、鹿児島市大竜町にて生まれ育ったのだが、江戸に嫁ぐ前までは今和泉島津家にも、墓参りなどで来ていたと考えられている。「きっと屋敷前の海岸で、この像のように笑顔で過ごされていたのかもしれません。そんな想いを巡らせられる場所です」(吉留さん)
明治維新を支えた豪商・濵﨑太平次とは?
![指宿港に立つ濵﨑太平次像 指宿港に立つ濵﨑太平次像]()
指宿市観光協会のあるセントラルパーク。この周囲には明治維新を陰から支えた功労者ゆかりの地が多数存在。その功労者とは、指宿の豪商である「八代目 濵﨑太平次」だ。
あまり聞きなれない名前かもしれないが、この太平次は琉球貿易から海運業を始め、薩摩藩の御用商人として密貿易を行って、藩財政の建て直しに貢献した人物。また、造船や紡績事業の資金援助も積極的に行い、薩摩藩の近代武装化を資金面で支えたといわれている。
彼の活躍や資金援助がなければ、薩摩藩は弱体化し明治維新もままならなかったのだが、密貿易という行為によって、太平次は歴史の表舞台から遠ざけられてしまったという。その功績を見直す活動が近年活発に始まっており、セントラルパーク内やその周辺にある太平次の生誕の地や銅像、墓などに注目が集まっている。
また、指宿駅の近くにある指宿市観光協会では、セントラルパークを中心に太平次の功績に触れられるまち歩きも行っている。「気軽にご連絡いただいて、今の指宿に残る太平次の功績にも触れてほしい」と、吉留さんもおすすめするコースだ。