米軍の爆撃機が広島に原子爆弾を投下した3日後の昭和20年(1945)8月9日、今度は長崎に原子爆弾が投下され、町は灰燼と化した。戦後、長崎は歴史的な大惨禍に見舞われながらも、翌年には戦災復興土地区画整理区域を決定し、奇跡的な復興を遂げる。昭和24年(1949)には、当時の大橋博長崎市長が初めて平和宣言を行い、昭和30年(1955)には彫刻家・北村西望の手による高さ9.8メートルのブロンズ像、「平和祈念像」が長崎平和公園に完成した。ブラジルのサントス市をはじめポルトガルのポルト市などと姉妹都市の提携を結び、平和都市として歩み続けている。平成2年(1990)には、約200年ぶりに雲仙普賢岳が噴火した。また、長崎県は現在、長崎市の教会群などの世界遺産登録を目指している。