現代

長崎県の歴史

原爆落下中心地
 

米軍の爆撃機が広島に原子爆弾を投下した3日後の昭和20年(1945)8月9日、今度は長崎に原子爆弾が投下され、町は灰燼と化した。戦後、長崎は歴史的な大惨禍に見舞われながらも、翌年には戦災復興土地区画整理区域を決定し、奇跡的な復興を遂げる。昭和24年(1949)には、当時の大橋博長崎市長が初めて平和宣言を行い、昭和30年(1955)には彫刻家・北村西望の手による高さ9.8メートルのブロンズ像、「平和祈念像」が長崎平和公園に完成した。ブラジルのサントス市をはじめポルトガルのポルト市などと姉妹都市の提携を結び、平和都市として歩み続けている。平成2年(1990)には、約200年ぶりに雲仙普賢岳が噴火した。また、長崎県は現在、長崎市の教会群などの世界遺産登録を目指している。

 

原爆投下

平和公園の平和祈念像

昭和20年(1945)8月9日の午前11時2分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」により、長崎に原子爆弾が投下された。死者は7万3884人、重軽傷者7万4909人、被災人員12万820人、被災戸数は1万8409戸で、そのうち全焼が1万1574戸、全壊1326戸、半壊5509戸という大惨事となった。長崎が原爆投下の目標になったのは、日本海軍最大の戦艦大和と同型艦の武蔵を建造した「三菱造船所」があること、そしてハワイの真珠湾攻撃に使われた魚雷を製造した「三菱兵器製作所」があるためだった。現在は原爆落下の中心地に、世界平和を願って造られた「平和公園」がある。

西海橋開通

海橋と新西海橋

昭和30年(1955)には、“陸の孤島”といわれてきた西彼杵半島と佐世保市を結ぶアーチ型の「西海橋」が開通した。長さは316メートルで、完成当時は固定アーチ型としては世界で3番目の長さを誇り、東洋一といわれた。平成18年(2006)には、有料道路の西海パールラインの一部として全長620メートルの新西海橋が完成。歩道があり、中央部床のガラス張りの窓からは、日本有数の急潮といわれる伊ノ浦瀬戸の渦潮が眺められる。

長崎空港開業

長崎空港

大村市街の西、フライトは大村湾に浮かぶ周囲7キロの箕島(みしま)を活用して埋め立てた世界初の海上空港。箕島には当時、13世帯66人が暮らしていたが、空港建設のため転居。建設には3年の歳月が費やされ、本土との間に長さ970メートルの箕島大橋を架け、昭和50年(1975)に開港。長崎空港からは羽田と伊丹(大阪)、関空、神戸、中部(名古屋)、那覇、五島福江、壱岐、対馬の国内便、上海とソウルの国際線が離着陸している。

雲仙普賢岳噴火

雲仙普賢岳の平成新山

普賢岳は、島原半島の中央にそびえる雲仙岳の主峰。標高は1486メートル。約200年ぶりに噴火したのは平成2年(1990)11月17日で、翌年の2月12日に再び噴火が始まり、5月15日には水無川で最初の土石流が発生した。20日には溶岩が確認され、さらに24日には火山ガスとともに時速100キロのスピードで流れ下る火砕流が発生した。6月3日の火砕流では、死者・行方不明者は43人、負傷者は9人という惨事となり、噴火活動は平成7年(1995)3月まで続いた。5年間の噴火活動で、標高1483メートルの新たな溶岩ドームが形成され、「平成新山」と名付けられた。

九州新幹線西九州ルート

長崎駅

令和4年(2022年)9月には、長崎と佐賀の武雄温泉との間を結ぶ西九州新幹線が開業。「武雄温泉」、「嬉野温泉」、「新大村」、「諫早」、「長崎」の計5駅に停車する。武雄温泉〜長崎間は、現在営業中の新幹線と同じ1435ミリのレール幅を用いるフル規格で運行している。また、新幹線と在来線特急を同じホームで乗り換えられる対面乗換方式により、長崎~博多間は最速1時間20分となり、従来の最速の特急と比較して約30分の短縮となる。

軍艦島が世界文化遺産に登録

軍艦島

長崎におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧に加え、250年もの潜伏と復活……。世界に類を見ない布教の歴史を物語る資産として、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、2018年に世界遺産に登録された。構成資産は原城跡、大浦天主堂、黒島天主堂などの12ヵ所。 また、長崎市の沖合約18キロに浮かぶ「軍艦島」(正式名は「端島」)は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして、2015年に世界文化遺産に登録された。 軍艦島では江戸時代後期に石炭が発見され、炭鉱の島としてにぎわった。大正時代には高層鉄筋アパートなど、さまざまな施設が建設され、最盛期には周囲1.2キロの小さな島に5000人を超える人たちが生活していた。昭和49年(1974)の閉山後は無人となっているが、海底炭鉱の島として、日本の近代工業を支えてきた炭坑だった。現在も島内には高層アパートが残り、海の要塞を思わせ、軍艦土佐に似ていることから“軍艦島”と呼ばれている。

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