慶長14年(1609)、江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、東アジアにおける貿易の拠点として「平戸オランダ商館」を設置した。当初は土蔵付きの住宅1棟を借りて営業していたが、貿易の拡大とともに整備が拡大され、寛永14年(1637)~16年(1639)に建てられた倉庫は規模が大きく、貿易の象徴とされた。しかし、寛永17年(1640)には、前年に建造された倉庫にキリスト生誕にちなむ事柄があるとされ、当時の禁教令の下、将軍徳川家光の命によってすべての建物が破壊された。商館は翌年、長崎の出島へ移った。現在、跡地には寛永16年(1639)築の倉庫が復元されている。国指定史跡。