貝塚の発掘調査により、対馬の縄文人は、すでに海を渡って朝鮮との交易を積極的に行っていたことがわかっている。また、壱岐(いき)には『魏志倭人伝』にある一支国(いきこく)の王都と考えられる遺跡が発見されている。このように長崎県は、古代から大陸とのつながりが強かった。室町時代にキリスト教が伝わると、最初のキリシタンとなった大名・大村純忠が長崎を開港。南蛮貿易の中心地としてにぎわい、さらに多くの教会が建てられた。一時はキリシタン領となるが、豊臣秀吉の伴天連追放令後に公領となった。江戸時代には鎖国政策のもと、ポルトガル商人を置くため、日本唯一の貿易地・出島が造成された。また幕末には、イギリスの貿易商だったトーマス・グラバーが長崎を訪れ、貿易や漁業、石炭採掘などの多くの事業を展開した。明治時代に入ると佐世保に軍港が開かれ、鎮守府が置かれた。第二次世界大戦の末期である昭和20年(1945)には、長崎市に原子爆弾が投下され、広島市に次いで原爆被災地となった。現在は、九州新幹線長崎ルートの建設が進められており、平成34年度(2022)の開業予定時には、長崎市がこのルートの終着地となる。