唐津湾の海岸線に沿うように、約4.5キロにも渡ってクロマツ林が続く虹の松原(まつばら)。虹の松原は、初代唐津藩主の寺沢広高によって作られた松原で、唐津湾沿岸の美しい風景を愛でられる景観スポットとして人気です。静岡市の三保の松原、敦賀市の気比の松原とならぶ、日本三大松原のひとつ。三保の松原が34ヘクタール、気比の松原が32ヘクタール、虹の松原が230ヘクタールと、日本三大松原の中で最も面積の広い松原でもあります。国の特別名勝に指定されており、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典にも登場します。
国有林である虹の松原には、大きく3つの役割があります。1つ目は風をさえぎり、農耕地や住宅を保護する防風保安林としての役割。2つ目は塩害や津波、高潮による被害を防ぐ潮害防備保安林としての役割。3つ目に、空気の浄化や騒音を防ぐことで生活環境を守り、また森林レクリエーションの場、保健保安林としての役割です。
虹の松原は17世紀初め、初代の唐津藩主となった寺沢志摩守広高(てらざわしまのかみひろたか)によって植林されました。潮風や飛んでくる砂を防ぎ、街道や村々、田畑を守るためです。江戸時代に虹の松原は「二里の松原」とも呼ばれており、寛政元年に幕府巡見使が唐津を訪れたときには、案内の庄屋が虹の松原を「二里の浜、虹が浜、唐土が原とも呼んでいる」と答えたという記録があります。
虹の松原の長さは全長1里ほどで「虹の松原」の「虹」を2里という距離と聞き間違えた人が多いために、かつては「二里の松原」とも呼ばれたのではないかという説があります。
「虹の松原七不思議の会」という研究会を発足させた佐賀大学客員研究員、田中明氏の解説により虹の松原に伝えられる不思議7選。[1]豊臣秀吉がセミに「騒々しい」と叱ってから、セミの声が途絶えた。[2]豊臣秀吉が、松が高くて見通しが悪いため「低くなれ」と松をにらんで以来高くならない「にらみの松」がある。[3]松浦川河口付近には松の根が地表に現れた「根上りの松」がある。
[4]槍が立てかけられるほどに枝を広げた「槍掛けの松」がある。[5]100万本の松はクロマツばかり。[6]海岸近くなのに二軒茶屋の井戸からは真水が出る。[7]神集島の西端と高島の東端を結んだ延長線上が、虹の松原のちょうど中心。[8]浜崎にある諏訪神社に祀られている諏訪姫の願いにより、松原にはヘビがいない。実際、セミは一般的なクマゼミなどはあまり見られず、松を好むハルゼミとニイニイゼミがほとんど。ヘビも少なく、アカマツは何本か見ることができます。七不思議なのに8つあるというのも不思議ですね。
樹齢400年にもなる松の2本の幹が仲良く伸びていることから、「夫婦松」の愛称で親しまれるパワースポットの「連理の松」も見逃せないスポットです2本の間をくぐると幸せになれるとの言い伝えもありますので、ぜひ探してみてください。
白砂青松とは白い砂浜に青い松が生えている風景で、昔から多くの画家が描いてきた美しい風景とされています。白い砂浜には、玉島川上流の山地の地質が花崗岩であるためで、それが白砂の源となっています。河川改修などの影響で、砂浜は全国的にも減少傾向にあるなか、虹の松原は現在も白砂青松にふさわしい松原が維持されています。
40~50年前までには、虹の松原では家庭で使う燃料を集めるために松葉かきが行われていました。そのため、当時の松原は林内でも白い砂があり、林もほどよく密集していませんでした。松葉かきが行われなくなると、地上には草が生い茂るようになり、広葉樹も生えるようになります。
昔のような白砂青松の虹の松原を再生しようと、2007頃から佐賀森林管理署、佐賀県、唐津市などの行政機関と住民との話し合いのもと、虹の松原の保全・再生に関する方針が策定されて、松葉かきを始めとする、さまざまな活動が行われるようになりました。
虹の松原は85種類の野鳥が見られるほか、100種類以上のキノコが確認されています。そのうちのひとつが、幻のキノコとも言われるショウロです。ショウロはクロマツと共生する菌根菌というキノコで、現在、ショウロが見られにくくなった背景には、松葉かきが行われなくなったことが影響しています。
ショウロが生えるには、日当たりの良い砂地に、若いクロマツが生えていなければならないのです。虹の松原ではアカマツも見られ、アカマツには、キノコやマツタケでおなじみの菌根菌も。虹の松原で確認されるキノコの半数以上を松の根に菌根を作る菌根菌が占めています。