近代北海道

北海道の歴史

江戸幕府が崩壊し、明治維新により新政府が誕生。明治2年(1869)蝦夷地を北海道と改称し、北海道開拓史を置いて石狩国、渡島国、十勝国など11国86郡を設置。明治15年(1882)に北海道開拓史が廃止されると函館県、札幌県、根室県の3県が誕生する。翌年には北海道全体を管轄する農商務省北海道事業管理局を設置し、これらをまとめて3県1局時代と呼んだ。だが、3県1局は4年後の明治19年(1886)に廃止され、北海道庁が置かれ現在に至っている。


北海道誕生と名の由来

明治2年(1869)8月15日、太政官布告で「蝦夷地自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)十一ヶ国二分割國名郡名等別紙之通被仰出(おおせいだされ)候事(ことそうろう)」の周知で、蝦夷地は北海道と改称された。北海道は、幕末の探検家・松浦武四郎によって名付けられたという。武四郎は6つの道名候補を挙げていたが、そのうちの一つ。蝦夷を音読で「カイ」、これを「加伊」という字に当てて、北に位置することから「北加伊」とする案を元に文字を「北海」に改め、さらに行政上の区画を意味する「道」を補って北海道と命名した。

箱館戦争

戊辰戦争の最後の舞台、五稜郭は観光スポットとして人気

明治元年(1868)、旧幕府艦隊8隻を伴い江戸を脱出した幕臣・榎本武揚(たけあき)らは、箱館五稜郭を占拠し本営を置き事実上の独立政権を作り新政府に抵抗した。しかし、翌年、黒田清隆率いる官軍の総攻撃を受け降伏。新政府軍と旧幕府軍との間で約1年続いた戊辰(ぼしん)戦争は、これで終結し、名実ともに明治政府が誕生することになる。榎本武揚の軍に加わった新撰組の土方歳三も、この戦いで戦死した。箱館戦争の舞台となった五稜郭は、日本初の洋式城郭。塁形が星型をしていることから五稜郭と呼ばれる。現在は公園として整備されており、入り口付近に立つ五稜郭タワーから眺められる。

北海道開拓史

札幌にある北海道開拓の村では開拓の歴史を知ることができる

明治政府は、ロシアの南下政策に対して、北方の防備のため北海道の開拓を急務とした。明治2年(1869)、北海道ならびにその属島の行政・開拓をつかさどる省と同格の中央官庁である北海道開拓史が創設される。その目的は、北海道の国力増強につながる札幌の開発、道路・鉄道・港湾の整備、鉱山の開発、官営工場の建設、札幌農学校などの設立とともに、集団移住者と屯田兵による開拓にあった。開拓史長官になった黒田清隆は、10年間で総額1000万円という「開拓史10年計画」を建議。決定後、さまざまな官営工場の設立、幌内炭山の開発、石炭輸送用の鉄道の敷設、西洋式農業の移入も図った。そして明治6年(1872)、明治政府は北方警備と開拓を兼任させる屯田兵(とんでんへい)制度を開始。北海道開拓史は明治15年(1882)に廃止され、函館県、札幌県、根室県の3県が誕生する。札幌には明治・大正の暮らしを体感できる野外博物館「北海道開拓の村」と、太古から現在までの北海道の歴史が学べる「開拓記念館」(平成27年(2015)春まで休館中)がある。

屯田兵制度創設

ある屯田兵の家族(写真提供/北海道大学付属図書館)

明治7年(1874)からはじまった屯田兵制度は、北海道の北方警備と開拓の重要性に加えて、失業した士族(武士)救済の役割を果たす画期的な政策でもあった。屯田兵最初の入植地は札幌郡琴似(ことに)村と決まり、兵屋208戸、中隊本部、練兵場、授産所などを建設し、翌年、山形、宮城、青森の三県から募った士族とその家族約970人が第一陣として生活を開始した。彼らは暖房もない簡素な家に住み、酷寒の厳しい自然環境のもと、屯田兵村近辺の未開の地の開墾と農作業に打ち込むとともに、軍隊の訓練も行う厳しい日々を送ったのである。北海道には最終的に37の屯田兵村ができ、合計約4万人が入植した。屯田兵制度は明治37年(1904)まで続き終わりを告げた。旭川に屯田兵の開拓関係資料や当時の農耕器具などを展示する旭川兵村記念館がある。

札幌農学校とクラーク博士

さっぽろ羊ヶ丘展望台にあるクラーク博士像

北海道開拓史の目的の一つだった札幌農学校は、北海道大学の前身の一つで、北海道の開発に従事する人材育成のため明治5年(1872)、東京に開拓史仮学校が開設されたのがはじまり。明治8年に札幌に移転し、札幌学校と改称。さらに翌年、札幌農学校と改名。同年7月には北海道開拓史に招聘されて、アメリカ・マサチューセッツ農科大学長のクラーク博士(ウィリアム・スミス・クラーク)が教頭に就任する。クラーク博士は着任後、日本農業改善の実験農場を建設。また、キリスト教信仰に基づく訓育は、内村鑑三、新渡戸稲造らの学生に深い感化を及ぼした。8ヶ月の札幌滞在だったが、帰国の際「Boys Be Ambitious=少年よ大志を抱け」と遺した言葉は有名。札幌時計台は明治11年(1878)、札幌農学校の演武場として建てられたもの。さっぽろ羊ヶ丘展望台には、はるか彼方を指差すクラーク博士のブロンズ像が立っている。

網走刑務所

博物館網走監獄(写真提供/網走市観光協会)

明治23年(1890)に開設された国内最北の刑務所。明治36年(1903)に網走監獄に改名されたが、大正11年(1922)に再び網走刑務所となる。かつて網走監獄へは、北海道の道路開削工事のため多くの受刑者が送り込まれ、彼らは厳しい環境のなか過酷な労働を強いられた。赤いレンガ壁が劣悪さと凶悪犯を収容するイメージを与え、高倉健主演の映画「網走番外地」シリーズの舞台になった。天都山の中腹には網走刑務所の旧建物を移築し、当時の受刑者の生活ぶりを実物大の人形で再現した博物館網走監獄がある。

それぞれのエリアで楽しむ
ローカル旅行体験

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