
現在の「壱岐一の宮」は天手長男神社ですが、かつては、原の辻遺跡近くに鎮座する與神社が「壱岐一の宮」と称されていました。祭神は、仲哀天皇である足仲彦命と神功皇后である息長定姫命で、家内安全や安産などに御利益があるそう。

創建は嵯峨天皇811年と考えられており、式内社でもあります。社名に使われている「與(興)」の字には、「国府」という意味があり、かつて周辺には、政治的な中心としての役割を担っていた壱岐国府があったとされています。「印鑰(いんにゃく)」と呼ばれる国府の倉の鍵を保管していたため、かつては「印鑰神社」とも呼ばれていましたが、1876年に興村の村社となり、現在の名前が用いられるようになりました。
更に、1907年には神饌幣帛料供進神社に指定。神社の長い歴史を物語るように、江戸時代に建てられた本殿や平戸藩初代藩主である松浦鎮信の名が刻まれた鳥居、生命力あふれるホルトの木など、見逃せないスポットもそろっています。