
奈良時代初期の創建と伝えられる聖母宮は、「壱岐国二の宮」と称されており、国主や領主からも篤い信仰を集めていました。祭神は、神功皇后である息長足姫尊、仲哀天皇である足仲彦尊、住吉三神である上筒男尊、仲筒男尊、底筒男尊の五柱。神宮皇后を祭る聖母宮は、勝本の総鎮守であり、勝利の神や安産の神としても親しまれています。

三韓出兵時に順風を待たされた神功皇后が、この地を「風本」と名付けたとされており、それが転じて現在の「勝本」という地名になったと伝わっています。
三韓出兵の際に神功皇后の気合いが愛馬に乗り移って蹄の跡が付いたとされる馬蹄石、加藤清正が寄進した表門と社地廻りの石垣、肥前佐賀藩の藩祖である鍋島直茂寄進の裏門、名工山内利兵衛の壱岐牛の石像など、約1200年以上もの歴史を刻む聖母宮ならではの社宝も見逃せません。
馬蹄石のすぐ近くには「元寇の上陸地」の石碑が建っており、元寇の時に元軍が上陸した場所しても知られています。