江戸時代に巨万の富を築いた鯨主の屋敷

江戸時代に鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷として建てられた建物。中尾家は、初代から8代の170年間にわたり、唐津藩呼子に本拠をおき、小川島を中心に捕鯨業を一手に引き受けていた家。当時は、「中尾様にはおよびもないが、せめてなりたや殿様に」とうたわれるほど、唐津藩の財政に大きな影響力を与えたと言われている。捕鯨の衰退とともに、建物の存在も忘れ去られつつあったが、大学の調査により鯨組主の屋敷として、これほどの規模の遺構は全国的に例がないと分かり保存整備が決定。平成20年(2008)に復原工事が始まり、平成23年(2011)から一般公開されている。
豪壮な造りの主屋は、吹き抜けの広い通り土間や時代を感じさせる梁、質素ながらも格式と風格をそなえた座敷などがあり、建物の歴史が感じられる。勘定場跡の建物は、展示コーナーになっていて、呼子と捕鯨の歴史などが貴重な資料とともに紹介されている。