
禁教期にも信仰を続ける中でオラショ(祈り)を唱えるなどして在来宗教と信仰の場を共有していたことが特徴的な集落です。
禁教後も信仰を守る潜伏キリシタンが多く、平戸藩主に棄教を迫られたため脱藩した籠手田(こてだ)一党の末裔もいるとされます。キリシタン大名・小西行長が亡くなった後に移住してきた家来の子孫も残っているとか。
開国後、諸外国の批判から明治政府も黙認するようになり約30戸がカトリックに復帰しています。しかし、当時の潜伏キリシタンは200名を超えていたとも言われています。
ド・ロ神父が26戸の信者と建設したのが大野教会堂です。1893年に完成させた民家のような建築で、この地ならではの風合いをもたらした地元の石を積み上げています。外壁は神父考案の「ド・ロ壁」と言われ、その後もこの地区の建築に活かされました。ド・ロ神父の建築技法が顕著に表れている教会として、2008年に国の重要文化財に指定されています。
現在では信者数の減少などから、ふだんは出津教会に通い、記念ミサや葬儀など、特別な場合のみ大野教会は使用されています。
ド・ロ神父と潜伏キリシタンの人々が力を合わせて生み出した独自の教会建築。信仰へのひたむきな思いと、禁教政策に屈することなく耐え抜いて創り出された文化です。地区の主要な建築に使われた工法と石は、じっくりと見ていきたいところのひとつです。