「ペリー公園」は近代日本の幕開けの地!横須賀散策にもおすすめ
横須賀市|【更新日】2023年4月9日

1853年7月14日、ペリーの来航により久里浜に衝撃が走りました。当時の様子を気軽に感じられる場所が「ペリー公園」です。
今回は、かつてペリーが上陸した場所「ペリー公園」で、近代日本幕開けの歴史に触れてみましょう。
目次
かつてペリーが上陸した場所。ペリー公園で歴史を感じる
堂々と鎮座する大きな石碑がシンボル
ペリー公園に入るとまず目に入るのが、中央に堂々と鎮座する石碑です。
こちらは1901年7月14日に設置されたもの。ペリーが来航した日と同じ日に除幕式が行われました。
石碑には「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」の文字が。初代内閣総理大臣、伊藤博文による碑文です。
当時アメリカは南北に分かれていたため、あえて「北米」と書かれています。「伯理」という見慣れない文字は「ペリー」と読むそうです。
石碑の足元には当時の航路が
石碑の足元を見ると、当時ペリー達が日本に来たときの航路が描かれています。
アフリカからインド洋を通りシンガポール、香港を経由。半年以上かけ、日本に到着したことがわかります。
ペリー来航の目的は中国との貿易のため、太平洋航路の中継地が欲しかったから。
太平洋航路を渡れば短期間で中国に到着しますが、そのためには燃料や食料を補給する場所が必要です。
そこで選ばれたのが、鎖国をしていた日本だったのです。
寄り添うような2本の松にこめられた意味とは
石碑の隣には背丈の異なる2本の松が。
背の高い松は米友協会会長の金子堅太郎氏が、背の低い松はペリーの孫ロジャー氏が記念碑の除幕式で植樹したものです。
金子堅太郎松、ロジャー松と呼ばれています。
ペリーが上陸した地にも関わらず、久里浜にはそれを表すものが何もありませんでした。
これを憂いたピアズリー氏(ペリーの部下)の話を聞き、金子氏が記念碑の設置に尽力。2本の松はアメリカと日本の友好の証かもしれません。
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「じょうきせんの碑」から当時の日本の動揺が伺える
船とお茶をかけたユニークな歌
「泰平のねむりをさますじょうきせん たった四はいで夜も寝られず」
これは、ペリー率いる4隻の蒸気船がやってきて、日本は夜も眠れないくらい大混乱。
まるで京都宇治の高級茶、上喜撰を飲んだときのようだ。という意味の狂歌です。
煙を出し、勢いよく日本に向かってくる蒸気船に衝撃を受けた日本。
実は、日本に来た4隻の船のうち、蒸気船は2隻のみでした。それがわからなくなるほど混乱していたのかもしれません。
海を眺めながら、当時の様子を想像してみよう
ペリー公園の前の海を眺めてみます。公園目の前は埋め立てられて道路になっていますが、もともとはここまでが海でした。
まさにこの海に黒船が現れ、久里浜の人々はさぞ驚いたはずです。
公園の前の海は、当時久里浜の人々が見ていたものと同じ。
穏やかな海に、突如異国船が現れたときの様子を想像してみましょう。近代日本幕開けの足音が聞こえてくるかもしれません。
ペリー出生の地、ニューポートの記念石も!
公園の奥には記念石があります。
こちらは公園内にあるペリー記念館が建てられた際に、アメリカのロードアイランド州ニューポート市から贈られたもの。
1987年7月14日に寄贈されており、こちらもペリーが来航した7月14日に合わせられています。
公園の奥に置かれているので、是非探してみてくださいね。
横須賀ならではのスポット。ペリー公園で歴史散策を楽しもう!
ペリーが来航した横須賀ならではのスポット、ペリー公園をご紹介しました。海を望む公園で、散策にもぴったりです。
園内には、更に歴史を深堀できるペリー記念館もあります。散策のついでに、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
ペリー公園のアクセス
- 【住所】
横須賀市久里浜7丁目14番
【駐車場】なし
※掲載時の情報です。最新の情報は公式サイトをご確認ください。