
有田の秋の風物詩で、元々は泉山磁石場の山神への奉納相撲だった「石場相撲」。有田焼の原点である泉山陶石の安全な産出や、有田焼の繁栄を祈願していました。その歴史を物語るのは、明治中ごろの記録資料「相撲請負契約証」。近隣の力自慢が集まって相撲が開催されていたことを伝えています。現在は、有田町泉山の歴史民俗資料館東館横の相撲場で開催。
大会では、社会人対抗戦や各区対抗戦の他、有田相撲甚句(じんく)の会による大相撲の巡業などで披露される七五調の囃子歌、相撲甚句の披露や稚児土俵入りなども行われます。大正時代には、佐世保海兵団から海軍の軍人が出場。その頃の賞品は有田焼がトロ箱一杯に貰えたので、こぞって参加者が集まってきたといわれています。