大倉山ジャンプ競技場が作られたのは、昭和天皇の弟宮・秩父宮殿下の「冬季オリンピック用の本格的なシャンツェ(ジャンプ台)を札幌に作っては?」というひと言がきっかけでした。毎年行われる大会に「宮様スキー大会国際競技会」があるのはこのためです。
昭和3年(1928)2月に秩父宮殿下が札幌へ行啓し、一緒に手稲山を登山した北海道大学スキー部にシャンツェ設立の構想を語りました。ジャンプ台は昭和6年(1931)に完成し、昭和15年(1940)の札幌オリンピックの会場に選ばれましたが、戦争の激化から開催されず、完成から約40年もの時を経て、ようやく札幌オリンピックの舞台になりました。
「大倉山」という地名は新しく名付けられたもので、もともとは琴似村三角地帯の一部でした。名前は、殿下の口添えでジャンプ台建設に私財を投じた当時のホテル王・大倉喜七郎男爵から命名。着地地点のリフト乗り場に石碑を設置し、その功績を称えています。