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【別冊DEEokinawa】与那原町にある7体の石獅子を探して

沖縄県|【更新日】2025年10月24日

【別冊DEEokinawa】与那原町にある7体の石獅子を探して

沖縄の住宅の屋根の上や、門扉の上に魔除けとして置かれるシーサー。沖縄らしい風景を語る上で欠かせない存在ですが、その元祖といえば村落を災いなどから守る役割を担っていた「石獅子(いしじし)」です。

 

戦争で破壊されたり時間の経過とともに風化したりと、現在ではかなり数が少なくなっていますが、与那原町には現在も個性豊かな7体の石獅子が残っているそう。

 

今回は与那原町にある石獅子を少し歴史も振り返りながら、巡っていきたいと思います。7体集めたら何が起きるのでしょうか?

目次

大見武の石獅子

石獅子1

まずは与那原町の西側、南風原町寄りにある大見武(おおみたけ)集落にある「大見武集落センター」へ。いわゆる公民館のような施設です。

集落センターは戦前砂糖小屋であったが、八月十五夜には、そこのシーサーの前に御馳走を供えて拝み、部落民総出で棒術や踊りをして村の繁盛を祈願した。現在は、酒、果物だけで簡単に済ませている。ー序説・むかし与那原(1988)より

敷地内を見回してみると、遊具広場の一角にポツンと佇む石獅子を発見。

全体の形はしっかり残っており、ひと目見て石獅子だと分かるものの、細かいパーツは崩れているところも多く、年月の経過を感じます。

1体目はサクッと見つかりました。この調子でどんどん行きましょう。

火の石獅子

次は「火の石獅子」を探します。細い道路を入っていくとすぐに見えてくる、4本の支柱に囲まれた石獅子。与那原町の南西側、南城市の大里寄りの上与那原地区にあります。

こちらの石獅子は拝所にもなっているようで、ウコール(香炉)が置かれていました。

昔、村内で頻繁に火事が起こったのを調査したところ、大里村の古堅部落も火事が頻繁に起こっており、そのため火を返す獅子を頭を与那原に向けて建てたためだと分かった。それに対抗するために建てた獅子と言われる。ー与那原町の史跡(1995)より

支柱と鎖のせいでちょっと見づらいですが、周囲に配送センターや工場があり大型車の出入りが激しい場所なので、これがあるおかげでしっかり守られているのだと思います。

ニカッと笑った口の中には葉っぱがちらり。歯が欠けたおじさんみたいで愛嬌のある表情です。

北の石獅子

次に向かうのは与那原町の南東側、板良敷(いたらしき)地区にある「北の石獅子」。交通量の多い国道331号線沿いにあります。

コンクリートの壁に寄り添うように、さり気なく佇んでいます。

壁側の頭部の劣化が激しく、耳や目のあたりが削られたようになっていました。獅子というよりは、牛のヒヅメのような前足が特徴的。

なんとなく本土の獅子舞にも通じるものを感じる、彫りの深い凛々しいお顔立ちの石獅子です。

1986年10月28日の道路補修の際、戦前まであった北の石獅子(琉球石灰岩)が土中から出土した。従来は与那原(村)に向いていたのを、今回は雨乞毛に向けて再安置されている(位置は戦前と同じ)。ー板良敷誌(2014)より

新島の石獅子 ①

さて、残り4体。地図を見ると、与那原交差点に面して、与那原町のちょうど中心あたりに位置する新島集落を取り囲むように石獅子があるようです。

国道331号線沿いで、新島地区にある1体目の石獅子を発見。与那原交差点からも近いので、車窓から見たことがある!という人も多いのではないでしょうか。

位置は昔のままだが、現在の獅子は戦後作られたもので、琉球石灰岩が用いられている。戦前の人は、この獅子に囲まれた中が、村内むらうちであると言う意識をもっていた。ー与那原町の史跡(1995)より

もっこりとした立派な胸筋(胸毛?)がチャームポイント。わりと近年作られた、もしくは修復されたものなのでしょうか。これまでの3体と比べると細かい造形がはっきりと残っており、明らかに劣化が少ない印象です。

なんでも噛み砕いてしまいそうな歯並びの良さと、明るくユーモラスな表情が素敵です。

新島の石獅子②

続いて2体目となる新島の石獅子。

「えびす通り」という広い道に面してはいるのですが、電柱の影に隠れており、ちょっと見付けづらい場所にあります。

これまで見た石獅子の中では最も背丈が小さく、目がくりっと大きく鼻筋が通っていて、色白美人な石獅子です。

だいたい1.5頭身ぐらいでしょうか。重たい頭を一生懸命前足で支えるさまが健気です。

ちなみに、新島にはかつてもう1体コンクリート製の石獅子があったそうなのですが、破損・消失してしまい、現在は台座だけが残されているそうです。

中島の石獅子①

残る石獅子はあと2体。

海につながる水路沿いに設置されたこちらの石獅子は、元々あった中島地区から工事の為、一度与那原町コミュニティーセンター前に仮設された後、2018年末にこちらにお引越ししてきた流浪の石獅子です。

歩道を挟んだ向かい側(水路側)には、「東宮殿下御上陸記念碑」があります。

2つ前に出てきた新島の石獅子①と、背格好や胸筋、歯並びまでよく似ています。この体型、獅子(ライオン)というよりはゴリラっぽい。

正面から見ると、お行儀よく正座しているようにも見えますね。

中島の石獅子②

いよいよラスト。これまでの6体は比較的スムーズに見つけることができましたが、最後の石獅子の場所が地図を見てもいまいち分からず、なかなか見つかりません。

石獅子を探しつつ歩いていると、水路近くに材木屋が数軒集まっていることに気が付きました。

調べてみると戦前戦後、国頭で切り出した材木を山原船で与那原港に運び込んでいた歴史があり、このあたりは港町として栄えていたそうです。

木のいい香りに包まれながら歩いていると、ようやく最後の石獅子を発見!

近づいてよく見ると……

木が!木がめり込んでる…!

そう、最後に見つけた中島の石獅子は、木の幹が顔にがっつりとめり込んだ、世にも珍しい石獅子でした。

いったい何年かけてこの姿になったのでしょうか。石に幹がしっかりと根付いています。

こんな姿になっても笑顔を絶やさない、君こそが石獅子のなかの石獅子だ。

7体の石獅子をコンプリート

というわけで、与那原町にある7体の石獅子を探し歩いてみました。

7体集めても神龍は降りてきませんでしたが、普段歩かないような集落の細い路地を探索したり、個性豊かな表情や体型に驚いたり、なぜここに置かれたのか歴史を調べてみたりと、これまで知らなかった沖縄の歴史や文化の一面を垣間見ることができました。

たまには車を降りて町を歩いてみると、新たな発見があって楽しいのでおすすめです。

 


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