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伊東「木下杢太郎記念館」で多才な医学者・文学者・画家の足跡を訪ねる

伊東市|【更新日】2024年5月15日

伊東「木下杢太郎記念館」で多才な医学者・文学者・画家の足跡を訪ねる

伊東を散策していると、オレンジビーチにある詩碑や松川のほとりで「木下杢太郎(きのしたもくたろう)」の名を目にすることがあります。

彼は伊東出身の医学者であり、詩や文学、美術など幅広い分野で素晴らしい業績を残した偉人です。「木下杢太郎記念館」は彼の実家であり、伊東市最古の民家などを利用して創られています。

皮膚科医として国際的な名声を得るとともに、日本文学や絵画においても著名となった彼の多才な才能が存分に紹介されています。

貴重なお宝資料も展示されているこの記念館で、彼の足跡を辿ってみませんか?

目次

伊東市にある「木下杢太郎記念館」とは?

風格あふれる記念館の建物は国登録有形文化財

木下杢太郎記念館_外2

記念館の前から海が見える!オレンジビーチはすぐそこ

JR伊東駅から徒歩約7分、海岸線からほど近い立地に「木下杢太郎記念館」があります。なまこ壁に古びた「米惣」の文字が残る看板、暖簾のかかった情緒あふれる佇まいが目に飛び込んできます。

1907年に建てられ、国登録有形文化財に指定されている歴史ある建物の中に記念館はあります。展示室はかつて太田家が営んでいた店舗スペースを使用しています。

「木下杢太郎」はペンネーム!その由来は自作の詩

木下杢太郎記念館_外4

木下杢太郎にとっての伊東はまさに母なる大地

木下杢太郎は文芸をやることを親に反対されていました。しかし文芸の才能は顕著で、医学は本名の太田正雄で通し、文芸では「木下杢太郎」のペンネームを使うようになったそうです。

ペンネームは自作の詩「杢太郎」から来ています。

伊東出身の木下杢太郎(きのしたもくたろう)って何者?

詩人・文学者としても数えきれない功績

木下杢太郎記念館3

記念館に入って左側から生い立ち・文学者・芸術家・医学者の順番で展示されてるよ

詩人や文学者としても活躍し、数多くの詩、戯曲、小説、随筆、美術評論、文芸評論、翻訳などを執筆し、キリシタン史の研究でも業績を残しています。記念館では彼が残した雑誌や著書などもたくさん展示されています。

与謝野寛・晶子、北原白秋、石川啄木、高村光太郎、斎藤茂吉などとの交友があり、森鴎外の指導も受けるなど、多くの文人と交流していたこともわかります。

医学者としての功績は国際レベル!皮膚科医で知らない者はいない

木下杢太郎記念館_医者0

現代でいう東京大学の教授!医学者としての功績が本当にすごい!

医学者としては、東京帝国大学(現在の東京大学)の医学部教授として活躍し、ハンセン病や皮膚疾患の研究で名を馳せました。

また、水虫の原因が白癬菌であることを日本で初めて特定したと言われています。

さらに太田-ランゲロン分類法と呼ばれる真菌の分類法を確立し、フランス最高の勲章であるレジオン・ドヌール勲章を受章しています。

医者としての功績には度肝を抜かれますが、医者ではなく画家や文学者の道に進みたかったというのには驚きです。

2年間で872枚の絵画!死ぬまで描き続けた百花譜

木下杢太郎記念館5

長閑な松川を描いた作品!確かに印象派っぽいタッチ

記念館には杢太郎の生い立ちを紹介する展示があります。10代のころに描いた伊東の絵からは彼の画才がうかがえます。また、モネなどの印象派の影響も見受けられます。

彼のセンスやこだわりが表れたカンカン帽を被った自画像や、東京で芸術家たちが集まった「パンの会」での活動についても展示されています。

木下杢太郎記念館6

戦時中や入院中に描いていて、本当にその辺にある花がほとんどなのだそう

終戦後まもなく60歳で亡くなりましたが、2年半ほど前から「百花譜」と呼ばれる872枚に及ぶ植物画を戦時中に描いていました。

この作品は彼の生前最後に残したものであり、彼の芸術的才能を象徴するものです。

説明付きで倍楽しもう!事前予約がおすすめのガイド

木下杢太郎記念館2

展示を任されている丸井さんは特別展も一人で作ったんだって!

社会教育指導員である丸井さんが展示を任されています。記念館には原則として火曜、水曜、木曜の午後出勤しており、丸井さんから展示について詳しく説明を聞くことができます。

見ごたえのある展示の数々ですが、ガイドツアーでは特に関心のある資料について更に詳しく学ぶことができます。

杢太郎とその兄・圓三についての興味深い話を聞くこともできるので、お時間のある方にはぜひガイドツアーの利用をおすすめします。

ここが一押し!木下杢太郎記念館の見どころ

一.伊東市最古の民家!歴史的な建築物

木下杢太郎記念館7

奥にある生家は200年近く前に建てられたもの!綺麗な状態で保たれている貴重な日本家屋

展示室の奥にある杢太郎の生家は1835年に建てられた伊東市で最古の民家であり、市指定文化財です。竈土や囲炉裏、生活用品なども展示されており、当時の暮らしを垣間見ることができます。

建物は耐震補強を含む補修工事が施されていますが、内装は当時とほぼ変わらず大切に保たれています。建築当時の部材を可能な限り活かしており、高い技術力と歴史的価値への配慮が窺えます。

二.お宝発見!ここにしかない貴重な資料

木下杢太郎記念館8

2024年7月から新札が出るけど、樋口一葉は現在の5千円札の顔。たけも頭良かったらしい

木下杢太郎の手に入れがたい資料や作品の数々が展示されています。彼の兄弟である姉・たけや兄・圓三についての資料もあります。子孫の方が大切に保管されてきたものを提供して下さっているのだそうです。

たけは樋口一葉の友人であり、その関係を伝える希少価値の高い資料が展示されています。

24歳という若さで亡くなった樋口一葉の髪を下ろしている写真や直筆の手紙はレアで、写真は以前テレビ出演も果たしているそうです。

木下杢太郎記念館9

東京の都市計画や隅田川に架かっている橋の設計に携わっていた兄もすごすぎる!

杢太郎の兄・圓三は土木技術者・鉄道技師として活躍し、関東大震災で壊滅した東京の復興に貢献しました。帝都・東京の都市計画の近代化や美観を推進し、現在の東京の基礎を築きました。

彼は幹線道路の計画、異なるデザインの隅田川六大橋の設計、現在の地下鉄の計画化にも携わりました。記念館には、彼が関わった「帝都復興第一案地図」などの歴史的価値のある資料が展示されています。

三.新発見資料が期間限定で見られる!毎年変わる特別展

木下杢太郎記念館10

期間限定の特別展示内容は繰り返すことは無いんだそう。まさに一期一会

記念館では毎年春に特別展が開催されています。2024年は「太田正雄(杢太郎)の書簡 出張先から家族へ」というテーマでした。

バンコク、マニラ、満州や国内の出張先から家族宛に出した手紙が展示されており、当時の出張の感じなどがうかがえます。

また杢太郎が海外で得たハンセン病に関する知見や治療に関する記録もまとめられていました。

訪れる度に新たな発見がある魅惑の記念館

記念館での説明や展示を通じて、彼の多彩な才能に圧倒されました。

裕福な家庭に生まれ恵まれた環境があった一方で、国内外から情報を吸収する感度の高さと感性の豊かさ、そして知識や感情を表現する行動力など、木下杢太郎とその家族に興味が湧き上がりました。

毎年変わる特別展や充実した展示から、訪れる度に新たな発見がある「木下杢太郎記念館」にぜひ足を運んでみてください。

「木下杢太郎記念館」へのアクセス

  • 【住所】伊東市湯川二丁目11番5号

    【電話】0557-36-7454

    【営業時間】
    9:00~16:30(4月~9月)
    9:00~16:00(10月~3月)

    【定休日】月曜日(休日の場合は翌日)

    【料金】大人100円、小人(小学生以下)50円

    【駐車場】あり

    【公式サイト】https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkashisetsu/5355.html

    ※掲載時の情報です。最新の情報は公式サイトをご確認ください。

ライタープロフィール

鈴内茜

鈴内茜

旅好き渡り鳥フォトライター。アメリカ生まれの日本人、現在は伊東市在住。世界を飛び回り、美しい景色と美味しいものを味わい尽くしたい。