大船「玉縄歴史館」で辿る鎌倉の歴史。難攻不落の名城・玉縄城の秘密に迫る
鎌倉市|【更新日】2023年11月20日
かつて鎌倉の地に、難攻不落と呼ばれた城がありました。
その名は、玉縄城。戦国時代の武将、北条早雲が築いた堅城です。
今回は、そんな玉縄城や玉縄地域の歴史を学べる「玉縄歴史館」に足を運んできました。
目次
龍宝寺の境内にひっそりと。「玉縄歴史館」で歴史探訪
龍宝寺というお寺の中にある「玉縄歴史館」。龍宝寺とは、玉縄城の三代城主、北条綱成が建立した香華院が始まりだといわれています。
玉縄城を語る上で欠かせない存在の北条一族。龍宝寺は、一族と非常にゆかりのあるお寺のようですね。
境内にひっそりと佇む玉縄歴史館ですが、一体どのような展示が楽しめるのでしょうか。
早速入ってみましょう。
関東制覇を目指した武将、北条早雲が築いた玉縄城とは?
貴重な展示の数々。謎多き名城、玉縄城の秘密に迫る
こちらが玉縄歴史館1階のギャラリーです。
小ぢんまりとしていますが、鎧兜や武器など、興味深い展示が並んでいます。
でも、そもそも玉縄城とは、どんな城なのでしょうか。歴史の授業でも、詳しく習わないですよね。
玉縄城とは、戦国時代に関東制覇を目指した武将、北条早雲が、打倒三浦氏を掲げて築いた城のことです。
敵からの数多の攻撃に耐えた名城ですが、資料はあまり残されていません。
そのため、未だに謎も多いそうです。
玉縄城はなぜ難攻不落と呼ばれたのか。ジオラマから学ぼう
かの有名な武将、上杉謙信ですら落とせなかった玉縄城。その秘密をジオラマで学びましょう。
玉縄城の周りを取り囲むように、川が流れていることがわかります。この川は物資を運ぶだけでなく、外堀のような役割も果たしていたのです。
そして玉縄城の本丸は、すり鉢状の地形の中にあります。本丸を取り囲む崖は、まるで天然の城壁のようです。
このように恵まれた立地と地形が、玉縄城が堅城と呼ばれた理由かもしれません。
貴重な出土品も。当時の暮らしや戦いの様子が垣間見える
玉縄城跡の発掘調査の際に見つかった、貴重な出土品も展示されています。こちらは、「かわらけ」と「つぶて石」と呼ばれるものです。
「かわらけ」とは、地鎮祭やまじない、飲食物の提供などに使用された皿のことです。こちらで出土したものは、主に地鎮祭で使用されていたと考えられています。
「つぶて石」とは、敵に向かって投げる石のこと。熟練者が投げれば、甲冑を身に付けていてもダメージを受ける威力があったそうです。
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2階の展示場も要チェック!江戸時代の民具がズラリ
くわやノコギリがちょっと怖い?玉縄の人々の暮らしを辿る
2階には、江戸時代から昭和初期に玉縄地域の農民たちが使用していた民具が展示されています。
背負いカゴや糸車、石臼など。存在は知っていても、実物を見るのは初めてなものばかり。なんだか、時代劇の小道具のようです。
ちょっと驚いたのがこちら。田畑を耕す際に使用するくわ、木を切るためのノコギリの数々です。
壁一面にそのまま展示されており、インパクトは抜群。数ある展示の中でも、一際目立っていました。
道具の今昔物語。文明の力にありがたみを感じるはず
日常生活で使用する道具も、今と昔で異なります。その移り変わりを学べる展示がこちらです。
特に印象深かったのが、「飯籠」。江戸時代から昭和中期にかけて使用されていたもので、お釜で炊いたご飯を入れて保存していたそうです。
通気性が良いため夏でも腐りにくく、冷めても美味しいご飯が食べられるんだとか。
現代ではなかなか考えられません!こんな時代もあったんですね。文明の力に、ありがたみを感じます。
「玉縄歴史館」で学ぶ戦国の鎌倉。北条早雲の想いに触れよう
玉縄城、そして玉縄地区の歴史を学べる「玉縄歴史館」をご紹介しました。
玉縄城は、まだ解明されていないことも多く、歴史上フォーカスされることもないですよね。しかし、戦国時代を語る上では欠かせない存在だといえるでしょう。
関東制覇を目指し、強い信念を持っていた北条早雲。玉縄歴史館では、早雲の熱い想いの一端に触れることができます。
歴史好き、特に戦国時代がお好きな方は、鎌倉エリアの当時の歴史を学べるスポットとしてぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
「玉縄歴史館」へのアクセス
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【住所】神奈川県鎌倉市植木128
【営業時間】9:30~15:30
【公式サイト】https://tamanawajo.jp/
※掲載時の情報です。最新の情報は公式サイトをご確認ください。







