日本地図を作った人物が!九十九里の隠れスポット「伊能忠敬記念公園」
千葉県|【更新日】2023年11月20日

九十九里エリアの隠れた歴史的スポット「伊能忠敬記念公園」。
日本地図の海の親、伊能忠敬の出生地として生誕250周年を記念してつくられた公園です。
江戸時代に14年もの歳月をかけ、日本全国を歩いて実測地図を作った偉人が生まれた場所へ足を運んでみませんか。
目次
日本地図の産みの親、伊能忠敬が生まれた場所へ
伊能忠敬と日本のモノづくり、その不思議な関係は?
伊能忠敬といえば、日本地図を作り上げた日本を代表する偉人のひとり。
公園内には測量に用いた象限儀と並び、伊能忠敬本人の銅像が空を見上げていました。
大きな分度器のような象限儀をはじめ、測量で使う器具は正確性を求めて、改良や工夫を重ねたのだとか。
江戸時代に精密な地図を作り上げた裏には、日本のモノづくりの技術も大きく関わっていることを感じました。
神保三治郎から伊能忠敬へ、思わず伝記が欲しくなる
伊能忠敬の幼いころの名前は三治郎(さんじろう)。網元の小関家家の末っ子として生まれ、17歳で千葉県の佐原周辺で有名な商人、伊能家の婿養子になりました。
結婚に際し、忠敬と名を改めたのだとか。十代目当主として、商人の才を発揮し、多角経営により家業を拡大したビジネスパーソンな一面も。
生まれや育ちを知り、改めて伝記を読んでみたくなりました。
住宅地の中にひっそりたたずむ「伊能忠敬記念公園」
九十九里から世界へ、江戸時代の日本はすごかった
当時としては高齢にあたる50歳から新しい学びをスタートした伊能忠敬。
測量をはじめたのが55歳、何歳からでも新しいことにチャレンジする姿勢には刺激を受けました。
九十九里で生まれ、磯の香りとともに育ったそうですが、海に近い場所だったので「地球の大きさを知りたい」と思ったのでしょうか。
この好奇心が地図づくりのきっかけと言われているそうです。
後世に残したい、一人ひとりの心づかいが重なる場所
生誕250周年を記念して建設された公園は、静かな住宅地の中にあります。
九十九里町が管理していますが、お手入れなどはボランティアの人たちによるものだそう。
取材した日はゴミなども見当たらず、きれいな状態が保たれていました。草木もきれいに手入れされており、地域の人たちからも大事にされている様子がうかがえます。
江戸時代から今へ、伊能忠敬出生地は隠れ穴場スポット
ナビの案内に注意!運転が不安なら手前の駐車場へ
ナビによっては公園前まで案内されますが、公園手前の道路は車一台が通れるくらいの幅。
すれ違いができないので、運転が苦手な人はちょっと怖いかもしれません。
運転に自信がない場合、公園手間の交差点に広い駐車場があるので、そちらの利用がおすすめです。
駐車場から公園まではのどかな空気が流れているので、散歩がてら向かうのも楽しいですよ。
車の訪問がおすすめ、タクシーはお迎え予約を忘れずに
JR東金線「東金駅」から本須賀行きのバスに乗ってもアクセス可能です。
バス停から公園までは徒歩15分ほど、バスの本数が少ないため、公共交通機関ならタクシー利用が便利です。
交通量が少ない場所のため、帰りにタクシーを利用する場合、あらかじめ予約を忘れずに。
新しいことへの挑戦、その背中を押されるスポット
伊能忠敬といえば日本地図が注目されがちですが、実はビジネスパーソンな一面もあるなど、知れば知るほど興味が湧く人物です。
地球の大きさを知りたい、その好奇心とフットワークの軽さ、そして謙虚さ。江戸時代も現代も、何かを成し遂げる人には共通するものがあるのかも。
そんな偉人の出生地を、ぜひ一度訪れてみてくださいね。
千葉の交通手段はレンタカーがおすすめ
伊能忠敬記念公園へのアクセス
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【住所】千葉県九十九里町小関2689
【料金】なし
【駐車場】無料 2か所あり(バス用駐車スペースは公園入口の交差点の駐車場のみ)
【公式サイト】https://www.town.kujukuri.chiba.jp/0000000336.html
※掲載時の情報です。最新の情報は公式サイトをご確認ください。