
咸臨丸は幕末期に江戸幕府が所有していた初期の軍艦。戊辰戦争でも使われたが、その時はすでに他の軍艦よりも機能が劣っており、運送船として使われた。戊辰戦争終了後は北海道開拓のための物資を運ぶ船としても活躍した。
戊辰戦争で敗れた旧幕府軍の東北の藩士が、北海道(蝦夷)への移住のために乗り込んだ船としても知られている。しかしその船は函館経由で小樽へ向かう途中、木古内町サラキ岬沖で岩礁に乗り上げ座礁。懸命な救助により乗船者は難を逃れたが、咸臨丸はその数日後に沈没した。
その悲劇から約100年たった昭和59年(1984)、サラキ岬沖で咸臨丸の朽ちた錨が発見された。以降、サラキ岬は咸臨丸が眠る地として知られるようになった。
また5月になると春の木古内町・サラキ岬は数万球のチューリップに彩られる。咸臨丸がオランダで造船されたという縁があり、サラキ岬には本場オランダから贈られたものを中心に、約60種、数万球というチューリップの群生地となっている。
■サラキ岬
【住所】木古内町字亀川
【駐車場】あり