異国橋跡
【投稿日】2015年03月26日(木)| 北海道発
「一本木関門」と並び土方歳三が最後を遂げたと伝えられるもうひとつの地

土方歳三が最期を迎えた地については諸説あるが、地碑が建立されている一本木関門と並び有力とされている場所がもうひとつある。それが異国橋跡、現在の十字街電停付近だ。

「異国橋」とは、幕末期から明治20年(1887)頃まで、市電線路に交差する現在の銀座通りという道路にあった掘割りに架けられていた橋の名称。当初は国が栄えることを願って「栄国橋」と名付けられたが、箱館開港により外国人が居住していたことから「異国橋」へと名称が変化したと考えられている。箱館の街及び弁天台場にとっての最重要拠点だった場所で、箱館戦争に関する旧幕府脱走軍関係者の主な記録を見ると、土方の戦死場所に関しては「一本木関門」と「異国橋」が拮抗し、どちらが真実かはわからない。
戦術や戦略センスに優れていたといわれる土方歳三。土方は当時「箱館市中取締」という箱館市街を取り締まる立場にあったこと、弁天台場に新撰組隊士がいたことを考えると、弁天台場の救出を第一に考え、異国橋辺りで戦死したのではと考える向きもある。
【住所】函館市豊川町7付近
【交通】車/JR函館駅から車で約3分
電車/JR函館駅から市電で約5分、「十字街電停」で下車
【投稿日】2015年03月26日(木)【投稿者】たびらい編集部