1. 高龍寺/函館

高龍寺/函館

【投稿日】2013年10月04日(金)| 北海道発

明治時代末期の貴重な木造寺院に思いを馳せる

高龍寺山門

高龍寺は、寛永10年(1633)松前の曹洞宗法源寺の末寺として亀田村(現在の市内万代町辺り)に建てられたのが始まりで、函館で最も古い寺院である。その後、洪水による被害などで亀田が衰退したため、宝永3年(1706)箱館の弁天町(現在の入船町)に移転。箱館開港当初には実行寺と共にロシア領事館一行の止宿所となり、明治2年(1869)の箱館戦争時には旧幕府脱走軍の箱館病院の分院として負傷者を受け入れた。幾度か大火などのため建物を焼失し、明治12年(1879)函館山麓、現在の船見町に移転した。

明治33年(1900)に完成した本堂はケヤキ、ヒバ材で建てられた。明治44年(1911)に完成した山門は総ケヤキ造りで、東北以北最大の山門。装飾の豪華な高龍寺の山門は、207個の彫刻が見事である。いずれも越後出身の名工たちの作で、七堂伽藍様式をほぼ備えた函館で唯一、明治時代末期の貴重な木造寺院である。

境内には、金比羅堂、開山堂、位牌堂のほか明治2年(1869)の箱館戦争のとき、野戦病院となったこの寺で斬殺された会津藩士を供養する「傷心惨目」の碑などがあり、墓地には勝海舟と親交があった渋田利右衛門や、日本で最初に種痘を行った中川五郎治など著名な人物の墓がある。碑面「傷心惨目」は中国、唐の文人李華の作「古戦場を弔う文」からとったもので、文字は中国南宋の忠臣岳飛の真跡を写したものである。また、松前藩家老で、人物花鳥にすぐれた画家であった蛎崎波響の最高傑作「釈迦涅槃図」(北海道指定有形文化財)を所蔵している。

【住所】北海道函館市船見町21-11
【交通】市電:函館どつく前駅下車、徒歩約10分
【問い合わせ】0138-23-0631/高龍寺
【時間】開門6時~16時30分 境内見学自由/
    拝観可能時間9時~15時30分(希望者は受処へ※寺の行事などで拝観できない場合もあり)

【投稿日】2013年10月04日(金)【投稿者】たびらい編集部

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