かつて識名園を訪れた王族や冊封使は、正門から入っていました。これは屋門(やーじょう)と呼ばれる赤瓦ぶきの屋根付き門で、格式のある屋敷にしか許されないものです。当時は、国王や冊封使が各ポイントを通過して近づくと伝令が走り、門の前に立つと同時に、使用人が門を開閉していたそうです。これは現代でいうところの自動ドアのようなものです(現在は正門からの出入りはできず、別に入園受付が設けられています)。
その正門を通ると、戦火をまぬがれた石畳の道が続きます。ここで注目したいのは、なだらかにカーブを描くその道筋です。うっそうと茂った樹林のなかを、曲がりくねってS字形をなす坂道。ガジュマルやアカギといった緑のトンネルに仕切られた空間で、前方に何があるのかわかりません。しかし、石畳道を抜けると、美しい池が目に飛び込んできます。訪れる者をあっと驚かせたこうした演出は、日本本土でも見られる技法です。
その左手には、「あいかた積み」という沖縄独自の美しい石の積み方で囲まれた池の水源が見えてきます。中国の使節によって「育徳泉」と名付けられ、そのすぐれた水質から「甘醴延齢(甘い水は長生きさせてくれるの意)」と記されたお誉めの石碑が国使節によって立てられるほど、清らかな水が湧いていたといいます(石碑や石積みは沖縄戦の艦砲射撃などで欠けています)。育徳泉の先には石垣が設けられ、再び左右が見渡せなくなります。