九州の北部中央に位置し、阿蘇山麓の自然豊かな山あいに佇む南小国温泉郷に属する黒川温泉は、田の原川沿いにレトロな和風旅館や共同浴場が点在する山あいの温泉地。豊かな自然と温泉情緒あふれる街並みなど、古き良き山里の温泉地の魅力を実感できる温泉地でもあります。
今や黒川温泉は全国でも屈指の人気を誇る温泉地ですが、ここに至るまでの道のりは決して平たんではありませんでした。黒川温泉の歴史が始まったとされるのは、約300年前の江戸時代のこと。江戸時代中期には、この地に熊本藩を代々治めていた細川家の御用邸が置かれ、当時から怪我に効く「傷湯」が評判だったそう。
1964年に南小国温泉のひとつとして「国民保養温泉地」に指定され、九重連山や由布岳の雄大な景色を愛でられる観光道路「やまなみハイウェイ」が開通したことによって、観光客が一気に増えましたが、ブームもそう長くは続かず、次第に観光客が減少していきました。その後、高度経済成長期を迎え、同じ九州内の阿蘇や別府に温泉ブームが到来する中にあっても、黒川温泉の観光客が急激に増えることはなく、鄙びた湯治場として半農半宿も珍しくなかったとか。
そんな黒川温泉に転機が訪れたのは、1990年代後半から2000年代にかけてのこと。お得に3軒の露天風呂巡りを楽しめる「入湯手形」が注目を集めます。黒川温泉が掲げるスローガンの「街全体がひとつの宿 通りは廊下 旅館は客室」の言葉にも表れているように、目指したのは温泉街全体での共存。黒川温泉の旅館の風呂を単体で考えるのではなく、ひとつの旅館内で湯巡りを楽しむように旅館という垣根を超えて温泉を満喫してほしいという考えに基づいています。それを実現するために、派手な看板を撤去して落ち着いた看板に統一したりと、魅力的な温泉街づくりに取り組んできたことが結実。黒川温泉ならではの魅力が再認識されました。
2002年には「入湯手形」の年間販売数が2000年に初の10万枚を突破。評判が評判を呼び、全国各地から連日のように観光客が詰めかけるようになり、年間の日帰り観光客数が100万人超という日本を代表する人気温泉地への仲間入りを果たしました。現在では、日本国内のみならず、アジアや欧米などからも多くの人が訪れています。現在の黒川温泉の繁栄は、長らく低迷期が続いた中でも温泉全体での共存を目指し、黒川温泉が1軒の大きな温泉旅館であるという「黒川温泉一旅館」の実現に向けた地元の人々の奮闘なしには語れません。